神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『悪女/AKUJO』は“洋画”である

 先の休日、たまたま用事もなかったので、朝からCATVで映画やドラマをダラダラ観る機会があり、その際にようやく『悪女/AKUJO』を最初から最後まで観賞することができた。

 

 

 ストーリーそのものはある程度知っていたし、アクションがらみのシーンは既に数回にわたって断片的に観てきたので、今回いくつかの未見のシーンも観賞出来て、やっと本作が“一本の線”として自分の中で繋がった次第だ。

 

 さて全編を見渡した率直な観賞は、「これはまさに“洋画”だ!」というもの。一般に「洋画」とは「邦画」の対義語として日本以外で制作された映画の総称のように使われているが、厳密にいえば西洋の映画を指す言葉らしい。確かに普段から、香港、韓国、中国、インドといったアジアでも東よりのの、俗にいう東洋(インドはちょっと違うけど(;^_^A)の作品のことを「洋画」って呼ぶのにはちょっぴり違和感もあるし、むしろ「洋画」に対する「アジア映画」ってカテゴリーで括る方がしっくりくるような気がする。

 

 そんな訳で、本作のような韓流映画を「洋画」って呼ぶにはいささか抵抗があるんだけれど、ことこの『悪女/AKUJO』に関しては、まさに「洋画」の称号が似合う。それというのも本作は、物語も演出もアクションもそのままで、キャストだけ西洋人にすれば、そのままフランス辺りやハリウッドの作品と知っても違和感がないくらいスタイリッシュだからだ。物語展開はリック・ベンソン監督の演出みたいだし(チョン・ビョンギル監督は本作が『ニキータ』の影響下で制作されたと公言しているらしい)、ストーリーはよどみなく進行していくし、重層する回想シーンも効果的だし(そこで主人公スクヒに整形前と後の顔があるのがポイント高い!)、そんな中、時折ヌーベルバーグを思わせる不条理且つ意外性のあるシーン・カットが登場するし(特に訓練施設のシーンやウェディング姿での狙撃など)、結末はアメリカンニューシネマのような“後味”だし等々……隣国日本ではここまで徹底できないくらい、西洋のテイストを見事なまでに咀嚼したようなところが、いかにも「洋画」なのである。これならば、この設定のままハリウッドでリメイクできそうだ。違いを挙げるとすれば、「ホラー映画か」と見間違うくらいのおびただしい血糊や、物語の根底にある「恨300年」の韓国(朝鮮半島)ならではの入り組んだ情念という設定くらいか。もっとも、クライマックスの、“偽りの夫”ヒョンスと共に彼女の愛娘のウネが爆殺されるシーンは、仮に本作がハリウッドリメイクされるとしても、カットされるだろうな(;^_^A

 

 それにしても、本作のアクションシーンのシャープさは素晴らしい。しかも冒頭の歩くスクヒの“一人称”で描かれる大殺戮シーンといい、中盤の施設からの逃亡を図ったスクヒが走行するバイク上で追っ手と激しい“チャンバラ”を始めるシーンといい、クライマックスの走るバスを追って飛び込んでの“ラストバトル”といい、常に“動き”があって且つ実にスピーディーだ。しかもほとんどCGに頼らない肉弾アクション故、CG独特の目まぐるしくチラチラする映像と比べても重厚で痛みがぐんぐん伝わってくる。

 

 このように、スタイリッシュな物語展開とスピーディ且つ重厚な肉弾アクション、そして人形のように美形でプロポーション抜群なヒロインの身体能力の高さやその起用法の妙など、少なくともこの分野では日本は韓流映画に大きな後れを取っているかもしれない。

 

 邦画が国内のヒットをまず目指す中、韓流映画は最初から全世界を視野に入れて映画創りをしているのだろう。またあそこまで徹底する感性にはただただ脱帽するしかないし、もうすっかり邦画は凌駕されている。韓流映画の進化や香港映画の巻き返し、そして今やハリウッドの数多の映画制作会社を傘下に収め、ますます大作志向に拍車がかかりそうな中国、そして圧倒的なパワーと物量で独自の進化を遂げるインドなど、アジア圏の世界戦略が作品の質としてどんどん進行している中、邦画で対抗できそうなのはアニメくらいしか思いつかない(そんなアニメももう“アジアに君臨”なんて言っていられない状況になりそうだ)。

 

 そのためにも、企画段階から世界基準で対抗できる映画制作を目指し、どでかいスケールで展開する邦画がこれから創られていくことを祈念して止まない。