神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『この世界の片隅に』

 というわけで、奇しくも久々に原爆ドームの威容を見てきたその日に、ようやく『この世界の片隅に』を観賞した。一昨年の映画界を席巻した大ヒット3作品のうち、本来ならば広島ゆかりの本作を一番最初に観るべきだったが、実際には『シン・ゴジラ』以外は劇場鑑賞すら叶わず、本作に至っては昨晩やっと、それもDVD観賞と相成った。

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 広島ゆかり、といっても主な舞台は広島市に隣接する、かつての軍港都市・呉。だから「戦争:「広島」といえば避けて通れない原爆の描写も、驚くほどあっさりしている。それでもアニメの手法を借りながら、戦争の悲惨さはじんわりと、そしてズシンと伝わってくる作りになっている。

 主人公のすずは、広島市の江波から、思いがけず見初められた呉の男性(おそらく幼少期“鬼”に相生橋でさらわれたとき一緒に駕籠の中にいた子だと思う)の元に嫁いでいく。子供の頃から絵が上手だが、どこかのんびりぼんやりしてドジも多く、あたかも“戦中版「ちびまる子ちゃん」”といった雰囲気の彼女が、果たして前も後ろも判らない初めての都市で、しかもまだ家族制度の厳しかった夫の実家で、僅か18歳でやっていけるのか、大いに心配させる展開だったが、いろいろな困難にぶち当たりながらも、何とかこなして、家族や土地になじんでいく様がほんのり描かれていた。

 そんな日常が一気に破綻するクライマックスが呉大空襲。今まで広島の原爆のことは映画でドラマで数限りなく描かれてきたが、この呉空襲を描いたものは殆どないのではないか、と思う。知りうる限り、広島のインディーズ界でBMFの阿部哲久監督が撮ったファンタジー『十八の夏』ぐらいしか思いつかない。そんな呉の大空襲がアニメながら克明に、ある種美しくある種残酷に描かれていて、この空襲によって、すずは2つの大事なものを一気に失ってしまう。そして広島の原爆投下。呉の街からも見えるキノコ雲と家族の死、いろんな意味で絶望感に囚われながらも、それでも彼女は愛する夫に支えられて、何とか生きていく……そんな物語だった。

 本作で特筆すべきは、物語が実に淡々と進行していくのである。それこそ「え、これで終わり?」ってくらい、カタルシスのない展開だった。従前の戦争下をテーマにした映画では、どこかで一気にたたみかけるような緊迫感と劇的なシーンが連続するのに、本作で描かれているのは、飽くまで太平洋戦争下の日本人の生活である。だから声高に反戦を叫ぶものもいない、かといって愛国心に燃えた軍人が登場するわけでもない。ただ淡々と、仕方なく戦争状態に陥ってしまった状況を受け入れ、その中で何とか生きていく、そんな戦時下の当たり前の生活が延々と描写されるばかりである。それは、終戦玉音放送を聞く、すずら北條家の面々の、泣きもせず喜びもせず、ただ疲れた表情でラジオに耳を傾ける姿に象徴されている。案外、実際もこんな感じだったんじゃないか、って思う。それ故、そんな生活圏にいきなり爆弾や焼夷弾、機銃掃射が降り注ぐ空襲にシーンはあまりにも悲惨だ。またすずが空襲の時限爆弾にやられた瞬間の、暗転、そして「眼から火花が出た」様な激しい明滅は、きっと爆弾が炸裂し炎や土砂が舞い大音響が響き渡る一般の被弾の描写よりいっそうリアルだったんじゃなかろうか。
その被弾によって自ら深く傷つき、大事な人を失ってから、魂が抜けたようにあるすずの描写も、下手な感情剥きだしの描写より受け入れることができた。

 本作は、そこで繰り広げられているとても不幸で悲惨な実情を、すずというキャラクターでぼんやり包むことによって、逆に強い印象を与える効果があったように思える。反戦映画は大事だといつも思ってるけど、悲惨な現実ばかり押しつけるように描く作品ばかりでは、その意図は理解できても観る方はいささか参ってしまう。そう言う意味では、本作のように入口のハードルは低く(だから『シン・ゴジラ』『君の名は』と並び、このテーマながらヒットしたのだと思う)、そして観終わった時に、ズジンと胸に重く迫ってくる、戦争テーマの映画がもっともっと作られてほしいと願う。