神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「郷土」の西条秀樹氏を悼む……

 インターネットのニュース記事の即効性はいつも重宝しているんだけれど、時として"通り魔的訃報"に遭遇し、混乱且つ動揺することも多い。先の衣笠祥雄氏の訃報しかり、そして昨日の西条秀樹氏の訃報しかりだ。

 桜田淳子山口百恵森昌子の俗に言う「花の高2トリオ」と並び、野口五郎郷ひろみと共に「新・御三家」を名乗っていたのが昭和40年代後半。丁度その頃、島根県大田市から4年ぶりに広島へ戻ってきた自分にとって、その「御三家」の一人である"ヒデキ"が広島出身であることは、同時期に一発屋ながら一世を風靡した「イルカに乗った少年」の城みちると並び、誇らしかったものだ。ひいき目ながら、「御三家」の中でも、当時西条秀樹が一番売れていたと思っている。実際、おそらく私と同年代であろう"ちびまる子"のお姉ちゃんは、ヒデキの大ファンらしいし(;^_^A

 高校に入って、その高校が10年ぶりに春のセンバツに出場した際、その年の入場行進曲が「ヤンギマン」だった。前年"YMCA"の振り付けと共に、これまた一世を風靡したメガヒット曲だ。奇しくもその時は一回戦が開幕3試合目とあって、その行進曲を甲子園に向かうバスの車中(ラジオ)で聞いたっけ……

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 その翌年の入場曲は松田聖子の「青い珊瑚礁」だったけど、当時は彼女より動機デビューの河合奈保子に熱を上げていて、シングルやLPを買ったり、郵便貯金ホールのコンサートに行ったり、ファンクラブの会員になったりしたが、件の河合奈保子嬢の芸能界デビューのきっかけになったのが、「ハウスバーモンドカレー」企画の「ヒデキの妹コンテスト」。(確か2位が小林千絵だったかな?)。こんなとこにも西条秀樹氏との接点があったかな(;^_^A

 晩年、彼のことを意識したのが、かの三池監督の"昭和歌謡オペレッタ"こと映画『愛と誠』(ウチのPCじゃ『アイと真琴』って変換しちゃう(;^_^A)。ここで誠役の妻夫木聡は、昭和のバンカラな出で立ちで、「激しい恋」を熱唱しながら、彼を「田舎っぺ」と蔑む"華の東京"のチンピラたちを完膚無きまでに叩きのめす。本作は他にも「空に大洋がある限り」「圭子の夢は夜開く」「また逢う日まで」といった昭和歌謡がこれでもかって流れる逸品だが、冒頭の「激しい恋は」は群を抜いていた。そう言えば、オリジナルの『愛と誠』の大賀誠役は、西条秀樹氏だったよ……

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 その芸能歴の中では、「ブーメランストリート」とか「ブーツを脱いで朝食を」とか、何とも困惑させる歌謡もあったが、デビュー時と「ヤングマン」の爆発的ヒットという、2度のブレイクを成し遂げ、見事に芸能界に君臨し続けたと思っている。また「御三家」の中では一番「衰え」とか「死」をイメージしづらい歌手だったので、同様の衣笠祥雄氏と同様、しばらくは「悪質なデマなのでは」との思いを払拭できなかった。読めば私と10も違わないじゃないか……合掌

 それにしても、不謹慎ながら、今の狂った為政者による狂った政治で、この国で生きる希望も望みもない昨今、そんな憂慮もない黄泉の国に旅立つ人が、羨ましくもある。ああヒデキ、こんな国で苦しむぐらいだったら、私も連れて行ってほしいよ……