神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

鉄人のアッパースイング

 丁度野球に興味を持ったのが1975年、それもオールスター戦以降からだ。ようは当時の広島における典型的な“ミーハー”だったんだけれど、それでも甲子園で太田コージから、山本コージと衣笠が2打席連続アベックホームランを打ったのはよく覚えている。

 当時は、シェアーなバッティングでアベレージを稼ぐコージに対して、アッパー気味のスイングでやたら振り回し三振も多かった衣笠はあまり贔屓ではなかった。それでも、あの年の10月15日の、今も忘れられないあの“喧噪”が、そんなことなど吹っ飛ばしてしまったけれど……

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 以後、衣笠選手の連続試合出場のことを知り、且つ地方球場でついに連続イニングは途絶えてしまった時のことも、それでも試合出場は続きながら、同年あの旧市民球場で西本聖の投球を背中にぶつけられて、その場に倒れ込んでしまった衝撃的なシーンも、見届けてきたけれど、そんな場面に出会う度に、ただ向こう見ずで自由奔放に見えた衣笠選手が、実は実直で紳士的で、自らを律した選手であることに気付き始めた。

 引退後も、その実直さは解説者としての手腕で遺憾なく発揮されたと思っている。優しさと思いやりの心を忘れず、買って奢らず負けてけなさず、冷静且つ沈着な分析力を持った、的確な解説が印象的だった。時にはカープ戦でも中立すぎて、「もっと贔屓にやってくれよ」なんて思ったことも合ったけど……

 そんな衣笠氏の訃報を知り、生前の“鉄人”ぶりのせいか容易に信じられなかったけれど、やはり病魔には勝てず、ということだろうか。ここ最近のスチールを見るにつけ、何とも痛々しく感じられた。きっと本当は陰で壮絶な闘病生活を送っていたのだろう。

 今回、故人に対するコメントに「もうすぐ自分も逝くから」ってのが多かったのも特徴的だったと思う。それだけ、多くの友人にとってなくてはならない存在だったのだろう。それだけに実に惜しまれる今回の訃報だったと改めて思う……合掌

 ところで、ちょっと気になったのは、私の見間違いかも知れないが、昨晩の試合でカープの選手は喪章をつけていなかった。あの「阪急」のイメージか強かった上田利治氏の逝去に際し、僅か数年しか指揮を執らなかった日ハムの選手でさえ、氏を偲び、その日は喪章をつけて試合に臨んだのに……衣笠氏はカープ球団にとって最大級の貢献者・恩人ではないか?

 確か先代の故松田耕平オーナーが衣笠氏のことを我が子のように可愛がり、それに嫉妬した息子の現オーナー元が、徹底して衣笠氏を排除した、なんて話がまことしやかに語られているが、もし、今回の大恩人の逝去に際して敢えて喪章をつけなかったことが、球団の元オーナーへの“忖度”だったならば、こんな球団、即刻解散しちまえ!

 この件が私の錯覚だったり、実は今日から喪章をつけてくれるんだったら、単なる取り越し苦労で済むんだけれど……

“鉄人”衣笠祥雄氏が大腸がん死去、19日まで仕事
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180424-00188702-nksports-base&pos=4
 元広島の衣笠祥雄氏が23日に死去したことが分かった。

  死因は上行結腸がん(大腸がん)。71歳だった。

 2215試合連続出場の記録を持ち「鉄人」として親しまれた。87年にはプロ野球界2人目となる国民栄誉賞も受賞した。76年盗塁王、84年打点王、MVP。通算2677試合、2543安打、504本塁打、1448打点、打率2割7分。96年野球殿堂入りした。

  19日に横浜スタジアムで行われたDeNA-巨人でTBSの解説を務めたのが、公の場に姿を現した最後になった。体調を気遣い「代わりましょうか?」と関係者から打診されたものの、仕事への強い意欲を示したという。