神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『海の底からモナムール』 仏監督による“広島風ファンタジー”への挑戦状

 横川シネマ!!にて『海の底からモナムール』を観賞。本作は、フランス人監督がセーラー服の女子高生を主人公にオール日本ロケで制作した、との情報は以前から掴んでいたが、その時点では食指が動くまでには至らなかった(セーラー服なのに?(;^_^A)。しかし、横シネで一週間限定で上映されることを知り、それをきっかけにいろいろと詳しく調べているうちに、女子高生の亡霊(精霊?)と、彼女が思いを残した彼氏との切ない恋を描いた作品と知り、「え、これって俗にいう“広島風ファンタジー”なんじゃないか」って思ってしまった。

 

 「広島風ファンタジー」に関しては、今から四半世紀前に開催した上映イベント「イチヱンポッポのチャンピオン祭り」のパンフにBMFの奥一浩監督が寄稿してくれた記事の中でも紹介されているが、「ユーレイ、またはそれに準ずるものが登場して、美少女や好青年と織り成す、リリカルな怪談調ラブストーリー」のことを言うのだそうだ。まあ、多分に地元広島(尾道)出身の故・大林宣彦監督の尾道三部作辺りがきっかけだと思うが、かく言う私も、かつて『いつも見ていたヒロシマ』『瞳』『シューリンクス』『思い出はあしたから』『新人代謝』といった作品で「広島風ファンタジー」風作品を撮ってきた。そんな経験のある私としては、やはりこの『海の底からモナムール』は観ずにおくわけにはいかない作品だった。しかも、この作品はご丁寧にもオール広島ロケで制作されており、まさに「仏監督による“広島風ファンタジー”への挑戦状」とも受け取れる作品だ。本作の惹句である「セーラー服の幽霊には、やり残したことがある」ってのも聞き捨てならない!

 

 そんなわけで、かつて劇場版“広島発ヒロインアクションムービー”ともいえる『サルベージ・マイス』が公開された広島バルト11に行った時のように、勇んで横シネに足を運んだわけだが………実際には、ファンタジーというよりは怪談、それもラフカディオ・ハーン小泉八雲)が描いた『怪談』のようなテイストの作品だった。

 

 

 10年前、度重なる無視と苛め、そして仄かな恋心を成就できなかったことを苦に崖から海に身を投じた女子高生・ミユキは、その満たされない思いから、ずっと17歳のまま、飛び込んだ海の中に漂い続けている。この亡霊と言い切れない設定が、実に秀逸だった。「ただ愛されたい」という彼女の切なる唯一の望みが、徐々に狂気をはらんでいく設定も流石だった。

 

 ミユキの切ない恋を受け止められず、結果、海に身を投げるミユキのその瞬間を目撃してしまった同級生のタクマは、そのトラウマから、高校卒業後、ずっと故郷の島に戻ろうとはしなかった。しかし同郷のマツに誘われるままに、彼女のカオリ、そしてマツの彼女のトモコと共に、10年ぶりに島に舞い戻った。

 

 彼らがキャンプを張った浜は、かつてミユキが身投げした海のほとり。そして前年、かつてミユキを苛めた一人であったリカが謎の溺死を遂げた曰く付きの浜だ。最初は何事もなくキャンプはスタートするが、すぐに彼女のカオリが体調に異常をきたす。そしてタクマは、ついに海岸に10年前のままの、セーラー服姿のミユキの姿を目撃してしまう。

 

 この作品、主人公ともいえる亡霊のミユキの立場で観賞したら、あまりにも切ない設定である。しかし劇中「アスペルガー症候群」と診断されるミユキの内に秘めた狂気・思い込みが徐々にタクマをむしばんでいく過程を観ていくうちに、下手なホラーも真っ青の、心底恐ろしい物語に展開していく。その恐ろしさは『世にも怪奇な物語』の一エピソード「悪魔の首飾り」(フェデリコ・フェリーニ監督)に登場する少女の悪魔のようであり、Jホラーの情念たっぷりの亡霊のようであり、また愛に飢えた切ない生身のJKのようであり、何とも形容しがたい。演じる清水くるみは、かつて『あまちゃん』のオーディションで能年玲奈と最後まで主演の座を争ったくらいのアイドル性を持ちながら、「恋人同士はセックスするみたいだから、あたしとセックスしてもいいよ」なんてセリフをするっと言ってのけて、海中を漂う亡霊役を海中でカメラ目線という不思議な演技を魅せてくれるなど、何とも艶めかしく、今までのファンタジー系亡霊(精霊)にない女子高生の幽霊役を演じている。

 

 奇しくもロケ地は、広島市南部の元宇品。この作品は5年前に既に完成していたそうだが、そうなると、当方がこの地で『電光石火☆八城忍』のロケを何度も敢行した時期に極めて近い。そういえば『八城忍』も主人公がセーラー服姿で、元宇品で大暴れする映画だった(;^_^A

 

 ミユキの「ただ愛されたい」という切なる願いが、いつの間にか呪いの言葉となって、タクマを始めとする登場人物を極限的な不幸に巻き込んでいく。時として切なく、時として悪魔のように恐ろしく、そしてしつこいミユキのセーラー服亡霊ぶりには圧倒されるし、最後、浜辺でついにタクマと抱き合い交わろうとするシーンは、大林監督の『異人たちとの夏』のようであり、またロマンポルノの『セーラー服色情飼育』さえも彷彿させる。雰囲気は近くても、前述の「広島風ファンタジー」とは真逆のベクトルをいく作品のようであり、それでいて、実は「広島風ファンタジー」の旗手たちが、その"ファンタジー”性の中に封印した“本音”の部分を見事具現化した作品のようでもある。この作品を、フランス人の監督がしかも広島の地で撮り上げた意義は大きいと思う。今回サブタイトルに「 仏監督による“広島風ファンタジー”への挑戦状」なんて書いたけど、実際は広島の地でこのような作品を撮ってくれてありがとう、というのが本音だ。我々も新たな方向性を学べたような気がする。

 

 ちなみに、今回パンフレットにも寄稿している、我ら広島インディーズムービーの“母”と言っていいくらいいつもお世話になっている、広島フィルムコミッションの西崎智子さんが、スーパーの店員役で登場しているのは驚いたし、とても嬉しかったな(;^_^A