神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

“プログラムピクチャー”を地でいった『愛と平成の色男』

 過日、日本映画専門チャンネルの「日曜邦画劇場」の枠で、森田芳光監督作品の『愛と平成の色男』が放映された。平成元年に制作・公開された本作は、元号代わりのタイミングといい、あたかも“金爆”の「令和」同様、企画からして“エクスプロイテーション”臭満々の作品だ。

 

 実は本作を、今は亡き広島の松竹東洋座(現八丁座)を封切時に劇場観賞している。それというのも、同じ森田監督が総指揮と脚本を務めた『バカヤロー!』シリーズ第2弾『バカヤロー!2 「幸せになりたい。」』と二本立て公開だったからだ。この『バカヤロー!』シリーズは、オムニバス形式で、それぞれの回の主人公が周りの理不尽さについに業を煮やして「バカヤロー!」と怒りをぶちまけるストーリーと聞いていたので、ストレス発散のつもりで勇んで観に行ったんだけど、その“キレ”具合およびその後の顛末が『スカッとJAPAM』の如く実に煮え切らなく、第1弾の『バカヤロー! 私、怒ってます』では大いに失望してしまった苦い思い出がある。それでも一縷の望みをかけて『2』を観に行ったが、第1弾に輪をかけて煮え切らない内容だったので、以後のシリーズはスルーしてしまった、という曰く付きの作品だ。

 

 

 そんな訳で、もともと『バカヤロー!2』が目的だったので、当時まだ若く、公私ともにプレイボーイの優男然とした主人公の石田純一が、まんまプレイボーイの医師を演じるという、併映だった『愛と平成の色男』には全然興味がなく、そのストーリーも、本命の『バカヤロー!2』への失望感も相まって、ほとんど覚えていない。今回、本作が放映されたので録画はしたが、それは1980年代の残滓を感じたかったからだった。

 

 ところで、この「日曜邦画劇場」で解説を務めるフジアナの軽部真一が本作制作にまつわるエピソードを披露してくれた。それによると、本作は、『バカヤロー!2』の併映作品がなかったため、同作品総指揮の森田監督が自らの手で急遽企画制作した、文字通りのプログラムピクチャーだったのだそうだ。だから制作当初から、まさに『愛と平成の色男』はB級映画・エクスプロイテーション映画としての宿命を背負わされた作品だったのである。ただ、その分肩ひじ張らずに思い切って作品で遊ぼうと考えて制作されたようである。

 

 この話を聞いて、実に嬉しくなってしまった。それと共に映画制作にはこんな一面も必要ではなかろうか、なんて思ったね。別に何でも間でも肩ひじ張った“A級”作品でなくてもいい。低予算で低条件だが、それ故何が飛び出すか分からない甘く危険な香りを醸し出す作品や、勧善懲悪で予定調和で、くっだらないけど楽しめる下世話な作品も、観る者に一服の清涼感を与えてくれるものだと思う。一番気に入らないのは、低予算・低条件なのに、それを補う創意工夫よりも、もっともらしい定義づけをしてお高く留まっている“擬似A級作品”だ。

 

 もっとも、これはまだ映画が量産体制にあり、2本立てが主流だった1980年代末頃までに話で、ロードショー(一本立て)公開が主流となり、B級映画がVシネマに取って代わられた昨今ではなかなか難しいかもしれない。でもいつか、この20世紀に主流だった2本立て公開の復活と、それに伴う愛すべきプログラムピクチャーの復権を願いたいものだ。

 

 ことインディーズの世界でも、商売で量産していくなんて考えたらないので、どうしても1本1本に思い入れが強く、最初から“B級”を狙った作品なんてなかなか作れな(とはいっても、完成した作品が図らずも“B級”だったりすることは多い(;^_^A)。でも自主映画故、肩ひじ張らず、商売度外視でお気軽な映画を撮るって選択肢もあると思う。一番いいのは自分でA面B面双方の映画を撮って、それを2本立てて公開することだろう。まあ、それはそれで大変な労力を必要とするだろうけど(;^_^A

 

 それでも、何なら『さびしんぼう』『カリブ愛のシンフォニー』の”奇跡の”2本立て公開に倣って、ゴリゴリのメロドラマと、痛快ヒロインアクションとの新撮2本立て公開でもやってみようかな(;^_^A