神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

B級映画とはなんぞや?

 やたら“B級映画”という言葉が好きで、自作もインディーズムービーの中でも“B級映画”を撮ってきたつもりでいたんだけど、そもそも「“B級”映画の定義は?」となると、明確な答えを持っているわけではないことに、今更ながら気づいた。そこで「B級映画とはなんぞや」と、改めて考察してみたい。

 1930年代、観客動員が落ちた当時のハリウッドが、1本と同じ料金で2本の長編を上映するというサービスを始めた際、その「オマケ」に当たる方の作品が、どうも「B級映画」「Bムービー」だったらしい。当然客寄せの「オマケ」だから、そこに多大な労力と財力をつぎ込んでは採算が採れない。そこで必然的にギャラの安い無名のスタッフキャストの短期間撮影による低予算映画にならざるを得ない。その結果、B級映画は粗製濫造の質の低い映画にならざるを得なかったようだ。しかしそれでは私の憧れたB級映画のイメージとは異なる。

 そんなメジャー映画会社の思惑で、自社内に敢えてB級映画を作る部署を作ったり、もしくはマイナー他社に委託制作させていた時代は、やがて直営館システムの崩壊によって2本立てでの直営館供給の必要がなくなったり、テレビの普及によって、B級映画がその公開の場を映画館からブラウン管に移していったことも手伝って終焉を迎え、同時に従来の意味でのB級映画の存在意義はなくなってしまった。そこから「メジャーな会社の作品よりも低予算ながらより自由な発想で撮る意欲的な映画」という新たな意味が、B級映画の定義に加わってきた。ここら辺は自分の思うところでもある。

 低予算なんだから、多少興行的に失敗してもそんなに傷手はない。だから思い切ったことも可能だ。逆に観客が喜ぶ“王道”の演出や他のヒット作のあからさまな模造であれば、低予算で撮った粗の目立つ作品でも人は入ってくれる、という発想も成り立つだけに、その両面が表裏一体となって、王道演出に試行錯誤しながら、独自の映画文化を構築していったのではなかろうか。今の日本映画界を席巻している“何たら制作委員会”とは真逆の発想、こっちの方がよっぽど“前向き”だと思うけどなぁ……(;^_^A

 ハリウッドの例に倣うかのように、松竹では添え物としての60分程度の「SP(シスター・ピクチャー)」という言葉があったらしいし、東宝でも「ダイアモンド・シリーズ」がB級映画の試みとして存在した。そして何といっても一時期「第二東映」(のちの「ニュー東映」)って系列制作会社まで作ってB級映画を大量に生産し、映画界空前の年間映画制作本数を誇ったことのある1960年の東映の活況は、まさにB級映画に憧れる私にとっては「もう20年早く生まれていたらなぁ」ってくらい羨ましい(;^_^A

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 件の「第二東映」崩壊後も、映画の持つ“不良性”を前面に押し出しつつも、同じ撮影所で「任侠」「実録」「ピンキーヴァイオレンス」「ポルノ」「テレビヒーロー特撮」が同時進行で制作され、昨日子供のヒーローが明日はポルノスターを演じることもしばしばという、まさにカオスな世界だった東映撮影所の猥雑ぶりと、とにかく無秩序に何にでもチャレンジしていた冒険魂は、まさに後者のハリウッドにおけるB級映画の定義に合致するのではなかろうか。