神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

石井輝男御大の『地獄』

 先程まで、テレビで「宮崎勤」事件の検証番組が放映されていたが「そうか、あれからもう30年近くも経っていたのか、ってのが偽らざる心境だった。あの事件で犯人逮捕の報が流れた時、丁度職場の新採研修でしばらく合宿生活を送っていたので、巷の喧噪は今ひとつ伝わらなかったんだけれど(当然テレビを観る機会も殆どなかったし……)、当時は「犯人女性説」も流れていて、犯人の男の姿を見たときには、一様に違和感を覚えたものだった。

 今思うに、後の「酒鬼薔薇」事件など、映画の世界を地でいくような猟奇的な事件が昨今何度も発生しているが、それはこの「宮崎勤」の事件によってその“パンドラの箱”が開いてしまったような気がしてならない。ここで「映画の現実の見境がつかなくなった」とホラー映画を批判する気は全くない。それよりも、勝手に感化されたり、それを出汁に責任転嫁をする輩の方が問題なわけで……言い訳を真に受ける“責任逃れの寛容さ”が幅を利かす今の社会を憂うばかりである。

 さて、今回の特番を観てふと思い出したのが、石井輝男監督版の『地獄』だ。遺作になった『盲獣vs一寸法師』がデジタル撮影だったことを思うと、この『地獄』こそ、かの鬼才・石井監督の最後のフィルム作品(映画)となったわけで、平成の世にまるで70年代の東映富士フイルム)映画を彷彿させる映像の質感の元、現実と虚構とがクロスオーバーした、なんともおどろおどろしい映画であった。奇しくもかの「横川シネマ」で本作を観賞したんだけれど、当時は、ロビーにいくつもの衣装・小道具が飾られていて、何とも“豪華”な観賞“体験”だったよ。

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 本作では、犯人の名を「宮島ツトム」と改めてはいたものの、事件はほぼ「宮崎」事件のまま。唯一の違いと言えば、処刑後地獄に堕ちた宮島が、地獄の鬼たちによって、無限に鋸引きの刑を受けるシーンくらいか。一度はバラバラにされて地獄でまでも絶命した宮島が、その直後生き返り「地獄に仏」と感謝したのもつかの間、無限に地獄の責め苦を味あわせるために、何度も蘇らせるのだ、と鬼たちに冷笑され、再び鋸引きの責め苦に苛まれる、って設定が強烈だった……おっと、あの世では現実に起こってるかもしれないな(;^_^A

 作品自体は、かの“サリン事件”のほぼ完コピな事件再現シーンが後半に延々と続き、すっかり観る側をいやな気持ちにさせた挙げ句、遂に彼ら宇宙真理教団員たちに地獄の責め苦が始まるかと思わせながら、その実あっさりしていて、何ともカタルシスに欠ける展開だったよ。まあ、もともと石井輝男監督の作品は意外にカタルシスを与えてくれない、後味の悪いものが多く、そこら辺は牧口雄二監督あたりにも受け継がれているようなんだけれど、何だか“三時間スペシャルなんだけれど「仕置き」はラスト30秒のみ」な「必殺仕事人」を観るようで、どうもスカッとしない。

 でも思えば、我が敬愛する70年代東映映画のの「任侠」も「実録」も「ピンキーヴァイオレンズ」も結局の所、そんな後味の悪さに満ちあふれていたよなぁヾ(--;)