高崎山猿吉!?
去る1日に、CSのテレ朝チャンネルで興味深い番組があった。それは新日本プロレス旗上げ50周年記念興行の生放送。今から遡ること50年前の1972年3月1日に、大田区体育館で新日本プロレスは初興行を行ったんだそうで、この日はその記念興行。
何といっても圧巻だったのが、開始期セレモニーに登壇した錚々たるメンバー、坂口征二御大を筆頭に、藤波、長州、武藤、蝶野から藤原喜明、木村健吾、小林邦昭、越中詩郎、山崎一夫、保永昇男、井上亘、垣原賢人、田中みのる、といった面々が一堂に会した光景は圧巻だった。しかも新日とは何かと因縁があったはずの“トンパチ”前田日明までが長州らと同じリングに並んで座っているという、昭和のプロレス史を知るものとしては信じられない場面まであって、別の意味でひやひやしながら、でも感動してその画面にくぎ付けとなった(;^_^A
そんな中、杖を突いた見慣れないかなり高齢の人物が混じっていた。「誰だろう?」って思っていたら、後になってこの人物は、新日旗上げ当時のメンバーに名を連ねていた魁勝司だったことが判明した。この魁勝司(本名・北沢幹之)は、かつて日本プロレス時代、当時社長だった豊登に遊び半分で付けられた「高崎山猿吉」なるリングネームでデビューした選手だった(他には「上田馬之助」も豊登の命名)。戦前の1942年生まれということなので、既に80歳の高齢だが、流石元プロレスラー、しゃきっとしていたよ(;^_^A
こちらが「高崎山猿吉」のリングネーム(後に「高崎山三吉」に改名)でデビューした魁勝司こと北沢幹之氏(上の集合写真では左端で座っている人)。
なんと、このタイミングでこんな記事が……(゚Д゚;)(゚Д゚;)
「50周年」となると、えらく古くからあったんだな、なんて思うけど、それでも自分が新日の「ワールドプロレスリング」に熱中していた小中高時代は、まだ創立10周年にもなってなかった頃だったんだぁ、って思うと何とも感慨深い。まあ、それだけ歳を取ったっていうことだろうけどね(;^_^A(;^_^A