神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

勝負とアングルの狭間に

 新型コロナ禍の中、NPBのセパ交流戦がスタートしたわけだが、どうも今年は開幕からパシフィックに分が悪い。それにしても、セよりもレベルが高いはずのパで首位争いをしているゴールデンイーグルスが、いきなりドームで讀賣に2連敗とはなんたることか# ゚Д゚)·;’.

 まあローテの都合だろうけど、いきなり絶不調の岸を先発させるし、2戦目の則本もいくら“ドームラン”の東京ドームとはいえ、1イニング3ホーマーはないだろう# ゚Д゚)·;’.# ゚Д゚)·;’. 今日はどうなるかわからないけど、もしあっさり3連敗して、他のセ5球団に全力で臨んだら、“忖度”っていうか、あの北尾光司の迷台詞が頭の中をよぎっちゃうよ…………

 などと、いきなり物騒な話から始めてしまったけどヾ(-д-;)ヾ(-д-;)、実はこのNPBの話は他意のない単なる前煽りという「前振り」で、ここでは前述の北尾の迷台詞について、今だから思う異なった見解を述べてみたいと思う。

 この北尾光司の迷台詞とは、今を遡ること30年前の1991年4月1日、神戸ワールド記念ホールで開催されたプロレス団体SWSの興行の中の「北尾光司×ジョン・テンタ」戦で発せられた(一応)暴言だ。

 



 北尾光司といえば、各界で優勝経験なしのまま横綱まで上り詰めた稀代の関取だったが、わがままな性格が災いして、親方と衝突し現役横綱のまま廃業(引退ではない)、その後スポーツ冒険家を経てプロレスラーとなった武道家だ。もっとも、最初に入団した親日では、現場監督の長州に暴言を吐いて5ヶ月で解雇され、その直後SWSに入門を果たすが、上記の迷台詞(暴言)が祟って、こちらも半年も待たずに開講の憂き目に遭ってしまう。

 一方のジョン・テンタは、「琴天山」の四股名で相撲界に身を投じ、幕下で無敵を誇りながら、これまたいきなり廃業、その後プロレスラーとして全日を皮切りにアメリカマットでも活躍し、くだんの試合の時には、WWF(現WWE)のトップヒールとして、ハルク・ホーガンに並ぶレスラーに成長していた。

 このお互いの相撲界およびプロレス界の立場の真逆現象が、北尾の暴言のきっかけとなったわけだが、その試合で、北尾はプロレスの興行にあるまじき“シュート”をテンタに仕掛け、お互い感情むき出しの“ガチ”なにらみ合いの膠着状態を続けた挙げ句、北尾がレフェリーに蹴りを入れて一方的に反則負けを喫してしまう。その直後、北尾はマイクを握って、プロレス界の“タブー”を口にする。

 


八百長野郎!この野郎! 八百長ばっかやりやがて!」

 この言葉に場内は騒然となり、控え室に戻っても暴れ続けた北尾は、結局SWSも解雇されてしまう。この発言に関して、一般的には「各界のキャリアでは格下のテンタ(琴天山)に、元横綱の自分が前日の敗北も含めて2連敗するわけにはいかず、その思いが“セメントマッチ”や、試合後の暴言に繋がったのではないか」と、北尾の行為や精神を断罪する内容の意見が多い。もちろん、一方的に「八百長野郎」と罵られたテンタに対する同情と共に。

 しかし、ミスター高橋氏の著書「流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである」によって、プロレスのアングル(筋書き)が白日の下に晒された今となっては、北尾のこの発言にも一理あったのではないか、って思うようになった。

 その後のテンタへのインタビューから、確かにマッチメーカーザ・グレート・カブキにジャブ(ジョブ・負け役)を依頼され、この試合は当初から北尾が勝つアングルになっていたらしい。しかし、それに対する疑心暗鬼や「相手に負けてもらう」屈辱感が、北尾に“シュート”を仕掛けさせる結果になったことが判明している。

 そこで気になるのは、北尾が身勝手な廃業騒動を起こしたとはいえ、確かに角界の頂点(横綱)まで上り詰めた実力者であるということだ。つまり、実力勝負の世界に身を置いていた彼にとって、勝敗すら事前から決まっているプロレス界はどうしてもなじめず、そしてアスリートとして許せず、マッチメーカーの依頼でジョブに徹しているテンタに対して(たとえそれが自分の勝利に繋がろうとも)、思わず「八百長野郎」という言葉を浴びせてしまったのではなかろうか。言うなれば、真剣勝負を排し、暗黙のうちにショービジネスを推し進めているプロレス界全体に対する“ガチンコ力士”の魂の叫びだったのかもしれない。そう考えると、北尾の言動は「プロレスの暗黙のルール」からすれば「そんなこといって何になる」程度の内容ながら、彼の気持ちには同情の余地もあるといえる。まあ、彼の性格を考えたら、その点もいささか怪しいが……

 北尾・テンタ共に鬼籍に入って久しく、今や検証のしようもない、これも“20世紀の都市伝説”の一つになってしまったが、この件に限らず、物事を常に一方向からとらえたり、人の意見を鵜呑みすることなく、自分の目で耳で検証していくことは、とても大切なことだと思う。