神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

ヒロインアクションの矛盾

 世の男たちが弱くなったせいか、はたまた本当に女性が強くなったのか……志穂美悦子の時代から今日に至るまで、“ヒロインアクション”ものの隆盛は後を絶たない。しかもこの種の作品を望むのは、実は男性であるという矛盾。はてさて、男たちは“強い女”に何を求めているのだろうか?

 ある人はそこに“母性”を感じるといい、またある人はただ“永遠のロマンである”とのみ言及する。中にはヒロインにある種の弱さを求めている者もいるかも知れない。

 ただいえるのは、昔と比べて女性が“リアルに強くなった”ということだ。そうなると“ヒロインアクション”に虚構性を感じ続けることがなかなか困難になってくるだろう。“か弱い女性がそれでも精一杯虚勢を張って闘う”という縮図は逆に虚構の世界となってしまう。

 とにかく、この種のテーマの作品を楽しむためには、別の意味での虚構性に現実逃避するしかない。その結果、「か弱いヒロインが負けてしまう」といった“ヒロピン”なるジャンルが成立してしまうのであろう(ヒロピンジャンルは、この種のテーマで書き続ける限り、避けては通れないジャンルだろう)。