神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『今日から俺は!!』は昭和ヒロインアクションの呼び水か?

 『今日から俺は!!』における、橋本環奈のツッパリセーラー姿に、昭和ヒロイン活劇の郷愁を感じる今日この頃なんだけど……これを機に、1970~80年代を席巻した、「ズベ公映画」や「スケバン刑事」といったセーラー服アクションの復活を祈念して止まない。

 『スケバン刑事』といえば、21世紀初頭に松浦亜弥主演で久々にスクリーンに復活したけど、その後はなしのつぶて。セーラー服という文化そのものが、風営法とブレザー制服によって“蹂躙”されつつあるが、例えば、広島市内の数少ない未だセーラー服を制服に採用している高校が、そのセーラー服人気から志望者を増やしている、という噂を聴くにつけ、まだまだ捨てたモノじゃない、って思わせてくれる。しかもその人気は、当然ながら“傍観者”である男供ではなく、それを着こなす女性(女子高校生)のものであることが興味深い。オヤジたちの勝手な妄想の装置としてではなく、そのスタイリッシュさや可愛らしさに女性自身が惹かれる衣装として認知され始めたことは、「ズベ公」「スケバン」の頃とは大いに異なるが、今後往年の人気を彷彿させる「セーラーヒロインアクション」へ繋がっていくきっかけになれば、なんて期待してしまう(;^_^A

 かつてそんなスタイリッシュな視点から、女性(少女)たちの支持を得たのが『美少女戦士セーラームーン』だったと認識している。しかし、当初は漫画そしてアニメからスタートしたそれが、やがて舞台を経て実写版に至るまで“生身の人間”によって演じられる頃から、その興味の対象は邪な男性へと移り変わり、その果てに「GIGA」や「ZENピクチャー」に代表される“ヒロピンビデオ”の世界に昇華されていったのはいささか残念な展開だった。

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 往年の邦画『青い山脈』に代表される、清純な乙女の象徴として使われたセーラー服が、その後「ズベ公」のアイテムとして強引に着崩され、その「清純」と「ズベ公」をない交ぜにして結実したのが、「斉藤由貴」「南野陽子」に“優等生”の恰好のまま無理矢理「またの名はスケバン刑事!」と啖呵切らせる80年代東映系ヒロインアクション『スケバン刑事』だったと位置づけている。

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 『今日から俺は!!』によっていきなり“昭和”に引きずり込まれた今のテレビドラマ界は、新たな『スケバン刑事』シリーズ復活の、絶好のタイミングのように感じるんだけど、どうだろうか……(;^_^A