神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

昭和の「徒花」としてのビデオ映像

 通勤途中の朝のローカルラジオで、去る10月15日が昭和50年に広島東洋カープセリーグで初優勝した日付けだったんで、それに因んで昭和50年(1975年)にヒットした歌謡曲を中心に流していた。そこで流れたのが、風の「22才の別れ」。へぇ、この曲って昭和50年の曲だったのか、って変に感慨に耽ってしまった(;^_^A

 勿論、風もこの「22才の別れ」もリアルタイムで聴いて知っていたけれど、この手のフォークソングに興味を持ったのは、今も「師」と仰ぐ学生時代の先輩の影響からだったんで、それ故逆にこの曲がそんな昔のヒット曲だったなんて、なかなかピンと来なかったのが実状だったりする。

 そんな世代にとって、後に倉本聰脚本のテレビドラマ『昨日、悲別で』のエンディングにこの曲が流れたことの方が印象深い。そんな『昨日、悲別で』だが、最近CSの日本映画専門チャンネルで放映されるようになったんで、何となく、思わず観てしまうことがある。そこでふと思うのは、「こんなに粗い質感の画面だったのかなぁ」って感慨である。

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 このドラマに限らず、というかこの時代のドラマやバラエティー、そしてスポーツ中継の映像などを観ても、どれもこれも酷く滲んで見える。これは決して昨今のデジタル・ハイビジョンの画質に目が慣れただけでもないような気がする。それに殊高校野球のような晴天下での中継映像は、当時の記憶をひもとくと、もっと済んだクリアな映像だったように思う。


 そう考えると、これは当時の映像技術云々の問題ではなく、VTRで撮影・保存されていることからくる“劣化”なのかも知れない。そうなると80~90年代に主にVTRで作っていた往年のドラマは是非早急にデジタル化してほしい。劣化がこれ以上進む前に。

 そう思うと、上記のビデオ作品群より遙か昔に撮られた総天然色の映画フィルムは、フィルム面の劣化や保存状態による退色を除けば、未だ褪せることなく完成当時の異様を誇っている。往年のスターの若き時代が、昨日のようにスクリーンに甦ってくる。亦楽しからずや!

 そう考えると、フィルムとデジタルの狭間に存在したリニア編集のテレビビデオ映像こそ、「徒花」だったといえるかもしえrない……