神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

遠くなりき「昭和」への思い

 過日、自宅のCATVのチューナーの交換があった際、ウチのBDレコーダーは「LAN録画」(?)「LANダビング」(??)対応になる前の機種だから新しいチューナーには接続できない、って言われた……

 パソコンデスクにガタが来たので、家具の量販店に探しに行ったら、最近はノートPCが主流なせいか(それともみんなスマホ?)、今使っている、マウス用の引き出しがあるタイプは存在していなかった……

 今までその手のものに関しては「先端」を行ってたつもりだったのに、いつの間にか時代から取り残されちゃったような寂寥感を覚えている今日この頃……

 それでも映画の方はいい意味で旧態然としたままの、もうすぐ2代跨ぎの「昭和」に拘っていきたいな(;^_^A

 それにしても、最近は鈴木則文監督の『東映ゲリラ戦記』にすっかり感化されたせいか、70年代東映プログラムピクチャーのことばかり言及しているような気がする。この間からハマりにハマッている『リンキング・ラブ』も平成とはいえまだまだ“昭和バブル”の残滓が残っていた頃を舞台にした映画だ。

 最近巷では、来年にも「平成」が幕を閉じることがやたら話題になっていて、それで言えば、「大正」「昭和」を生き抜いた父親を超えて。「昭和」「平成」そしてその次と、“元号3跨ぎ”を体験してしまうことになる(何より今回は「死去による変更」でないのがなによりだ)。もともと天皇制にも元号にも抵抗を覚える方だが、最近の靖国宮司ネトウヨの言動を見るにつけ、有事には天皇を担ぎながらひとたび天皇が平和を希求する発言をするといきなり厚顔無恥にも天皇を批判するなど、その無茶苦茶な発想に辟易すると共に、むしろ皇族以外の伴侶を招いた今上天皇や、そんな母親に育てられ、父親と同じく一般人の伴侶を得た次期天皇となる皇太子の常識的な発言の方が好感が持てる。今回の「生前退位」にもその思想が反映しているし。

 そんなわけで、戦前回帰の「昭和」主義には関心がないが、戦後繁栄を遂げた「昭和」や映画史としての「昭和」には今でも強く惹かれるし、自分の映画の作風にもずっと反映していきたいと考えている。