神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

特撮の観賞はイマジネーションと共に

 先日『フランケンシュタイン対地底怪獣』における“東宝フランケンシュタイン”こと古畑弘二氏について言及したが、彼が特殊メイクを施してはいるもの、殆ど生身の人間として、1/25スケールの特撮のフィールドに身を委ねている情景には、ある種の戸惑いを感じてしまうのは事実だ。それというのも、全てミニチュアや着ぐるみといった“作り物”で構成されて一定の統一感を持っているからこそ成立する特撮シーンが、そこに等身大の生身の人間が入ってくることで、著しくリアリティーを欠いてしまうからだ。「ああ、人間の大きさから考えて、これは全てちっちゃな作り物か」との“興ざめ”によって。

イメージ 1

 もっとも、それでは着ぐるみとミニチュアだけだったら人はそれを“本物”と観るかというと、それも甚だ妖しい。着ぐるみはどうしても着ぐるみにしか見えないし、劇中の戦車も戦闘機も超科学兵器も、正直“良くできたプラモデル”の域を出ていないのが偽らざる心境だ。

 ただそれで、すっかり“興ざめ”して観ていたかというと、むしろその逆で、しっかり手に汗握って特撮シーンに興奮していたものだった。そしてそれは単に幼かった頃の話ではなく、今でも、例えば『宇宙大戦争』クライマックスのナタール円盤と地球軍の宇宙戦闘機とのドッグファイト(とは云ってもほぼ直線での撃ち合いだが)をTVで観る度に、エラく力の入っている自分にはっと気付かされることもある。

 勿論、子供が観てもミニチュア撮影に過ぎないし、子供の頃もそのことは重々承知していたけれど、実はそんな“特撮”を媒介にして、観る方で物語の世界観を十分くみ取って、自分の脳内で映像を“リアルな情景”に変換して観ていたのではなかろうか。目一杯“イマジネーション”を働かせて……

 そう思うと、当時の特撮映画って、観る者の“イマジネーション”を刺激し育む貴重な存在だったのかも知れない。そう思うと、昨今のCGを駆使したリアルな映像は、逆に、観客の、人間の、社会の想像力を枯渇させているのではないか、と一抹の不安を覚える。