神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「馬鹿まるだし」(平和ボケのススメ)

 かつて冷戦時代、核攻撃の恐怖に怯えるアメリカで、市民向けに作られたPR映画の中に、もし核攻撃をされたら、児童は速やかに教室の机の下に身を隠し危険に備えよ、なんてのがあって、実際に原爆攻撃を受けた広島人からすれば噴飯ものの“脳天気映像”に見えたモンだ。実際核攻撃を受けたら、もうそこでおしまい。机の下に隠れようが、身を潜めようが、一瞬にして灰燼と化すか猛烈な放射能によって生命を絶たれるのがオチである。

 それが昨今、件の広島の教育委員会まで、文科省の通達とばかり、北朝鮮の核ミサイルがもし近くに墜ちたら、一斉に身を低くしてハンカチで口を覆えと書いたビラを、せっせと教室に貼れと言ってきている。本当は知ってるだろ、広島なんだから核兵器の逃れようもない被害のことなんて……これじゃ、やってることは戦時中の「B29に竹槍で抵抗する」と同じなんだよ。まるで「馬鹿まるだし」だ。

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 とにかく、核ミサイルが落下した時点で全ては終わり。その先は何もない。だから核ミサイルを撃たせたら、それは外交の大失態である。墜ちることを想定して徒に人民の恐怖を煽る暇があったら、本気で外交に取り組んで、打たせない・落下させない努力を、今為政者は全てを上げて取り組まなければならないんだ。国民の怒りの矛先は、恐怖を煽るばっかりで、打たせない努力を怠っている政府にある。

 考えてみれば、どの国でも、本当に求めているのは戦争ではなく「戦争状態」「有事」だ。戦争を起こしてしまっては、そのリスクは計り知れない。それよりも国民に恐怖心を与えて「戦争状態」にすれば、自由に国民を縛り付け、思いのままに操ることが出来る。実はそれに踊らされていることこそ、「平和ボケ」なんだよ。

 戦後70数年の平和を享受して、ある種幸せな日々を過ごせた日本人。それを平和ボケと煽り立て、無理矢理したくもない「有事」に駆り立てる輩を許してはならない。そんな輩に対しては、彼らの言う「平和ボケ」をとことん貫けばいい。「平和ボケ」して困る者は一人もいない。逆に「平和ボケ」から脱却すれば、国内のみならず全世界的に破滅と不幸が横行する。

 ちなみに、北朝鮮のミサイルは絶対人間の住むところには落下しない。これは断言してもいい。堕とさないから彼らの兵器は有効なのだから。それは冷戦時代、一発もICBMが米ソ両国から発射されなかったことと同じだ。あれは撃たないから、いつまで経っても脅威だったのだから。そう考えると、ヒロシマナガサキの犠牲は、皮肉にも核の威力を今だ全世界に知らしめ、」「核を持てば勝者」という原理を各国の為政者に与える結果となっている。被曝の痛みが強ければ強いほど、核兵器の脅威はいやが上にも増す矛盾………