神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

たけしのルーツは勝新にあり?

 平成の世に突如“狂い咲いた”1989年版『座頭市』。奇しくも“勝新”が最後の「市」役を演じることとなった本作は、ただただ市の怪物ぶりに圧倒されるばかりだ。


 物語は、とある宿場町で、町民を苦しめるヤクザ衆の抗争や、傍若無人の限りを尽くす八州取締役の役人といった輩を、流れ者の市が巧みに鮮やかに殲滅する、という、黒澤明の『用心棒』を彷彿させるものだが、知略に長けた桑畑三十郎(三船敏郎)とは異なり、本作における勝新「市」は、とにかく力業で敵をねじ伏せ、文字通り全滅させる。その姿は、人間を超えた、あたかも“殺戮マシーン”のようだ。

 クライマックスの「出入り」のシーンで、全身を刺し貫かれて果てる赤兵衛(内田裕也)の身体から噴き上がる幾重もの血しぶきも、その直後の市の大立ち回りを導く“ファンファーレ”のようであり、坂道を転がり落ちる巨大な桶から市が登場する、馬鹿馬鹿しくも外連味たっぷりな演出や、その直前、静止した桶から、悪辣な八州取締役(陣内孝則)の生首がニュ~っと現れて縁を“周回”するドギツい描写も含め、後に展開する「殺戮大宴会」を想起させるのに十分な“準備”がなされていて、実心憎い(;^_^A

 ところで、この「昭和」で撮られ「平成」で公開された89年版“勝新”『座頭市』の雰囲気を見事に継承しているのが、北野武版の『座頭市』(2003年)だったりするんだけれど、見るからにゴッツい貫禄十分の勝新と異なり、どちらかと言えば猫背で華奢なイメージのたけしが、それでも演出の妙といおうか、まさにバッサバッサと敵を斬って斬って斬りまくってくれる、そのクライマックスは、89年版とダブって見えるくらいだ(;^_^A


 そういえば、89年版には、敵の竹槍攻撃を市が仕込み杖の刀で受け止め、それによって真っ二つに割れた竹槍が“たまたま”そこに立っていた五右衛門(勝の息子で“殺人事故”を起こした奥村雄大)の組のチンピラ2人を同時に射貫く、というブラックユーモアに近い描写があるんだけど、そこら辺の間といおうか演出は、実は北野武監督の映画における、「意表を突く、ギャグなのか大真面目なのか図りかねる描写」に一脈通じるところもあって、もしかしたら、北野監督の独特の演出のルーツは、意外にも勝新のそれがあったのかも知れない。

 そう考えると、彼が『座頭市』のリメイクを思いついたのも、十分頷ける、というものだ(;^_^A