神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『フランケンシュタイン対ガス人間』詳細

 東宝特撮映画全盛期に、その徒花といっていい数多の未完成作品群がある。その多くは企画書、もしくはプロット、あらすじ(中には短編小説並みにしっかりしたものも)の時点で頓挫したものばかりだが、中には脚本まで残されているものもある。その一つが『フランケンシュタイン対ガス人間』である。

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 この作品は『ロビンソンクルーゾー作戦 キングコング対エビラ』『空飛ぶ戦艦』『ネッシー』『モスラ対バカン』『フランケンシュタインゴジラ』などといった他の東宝未制作特撮映画群と共に、昔から語り草になっていたタイトルだが、仮にこれが『フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)』の企画準備稿だったとしても、“東宝フランケン”に対して、元々等身大のガス人間が巨大化して戦う話なのか? と大変疑問に思っていた。その疑問は、この度脚本を読むに至りようやく解消した。実は『フラバラ』の企画稿ではなく、むしろオリジナルの「フランケンシュタインの怪物」と「ガス人間」が絡む、『ガス人間第一号」の正式な続編として用意された企画だったのだ。

※以下ネタバレ注意

 物語はイギリスの某地方都市から始まる。そこの墓地に埋葬されていたはずの「フランケンシュタインの怪物」が、いつの間にか棺桶からその姿を消していた! 所変わって香港。早逝した中国人女性の遺体が盗み出されるという事件が発生する。この犯人はギルドー博士。彼はフランケンシュタイン博士が作り出した怪物を墓を暴いて見つけ出し、自分の助手として手足のようにこき使っていた。そこへ登場したのが水野こと“ガス人間”。 彼はかの劇場ガス爆発の際かろうじて生き残ったものの、最愛の藤千世を死なせてしまったことを深く悲嘆しており、ギルドー博士を脅迫して藤千世の再生を試みる。

 彼らは飛行機で日本に向かうが、荷物として運んだ怪物と共に飛行中の機内から強制的に脱出を試みるも突発的に博士が死んでしまい、水野はやむなく怪物とのみパラシュート脱出する。博士を失った水野は、博士の助手をしていた怪物を、成功すれば元の墓地に帰してやると言葉巧みに操り、土葬されていた藤千世の亡骸を盗掘し、怪物に再生手術を行わせる。

 結果、紆余曲折を経て藤千世は“フランケンシュタインの花嫁”の如く復活するが、秘密の研究室周辺にたまたま迷い込んだ者に怪物が目撃されたことによって、この所業は発覚してしまう。最後、追い詰められる過程で藤千世を巡って仲違いする水野と怪物は、藤千世と共に底なし沼に飲まれて、それでジエンド。そんな展開だった。

 この作品で特筆すべきは、『ネッシー』企画の数十年前に、あたかもハマーと東宝との合作映画のごとき世界観が企画ながら既に存在していた、と言う点だ。特に冒頭のイギリスのシーンはまるでハマーホラーのそれのよう。フランケンシュタインの怪物もボリス・カーロフというよりはハマー版の怪物のイメージ(しかも普通に人語を理解する)。また『ガス人間第一号』ではあれほどニヒル且つ冷静だった水野がやたら直情的だったり軽率だったりする点も特徴的だ。もっとも『ガス人間~』でもこと藤千代のことに関しては感情的になっていたけれど。

 そして、本作を実際に撮ったとして、当然藤千世役にキャスティングされるであろう八千草薫に“フランケンシュタインの花嫁”のごとき姿をさせられたのか、というのも興味深い。本作に於ける藤千世は、最初の火傷でただれた姿から再生手術の途中でつぎはぎだらけの醜い容姿をさらし、しかもいくつもの電極を身体から剥きだし、と、まさに“花嫁”役を演じたエルザ・ランチェスターのごとき姿をさらけ出す。果たして彼女がその演技にOKを出すかどうか……でも観てはみたかったな(;^_^A

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 ただこの映画では、水野のガス人間である特質がオリジナル以上に描かれるが、反面CG技術もなかった時代に映像化出来るだろうか、との懸念も感じられた。劇中何度も気化して怪物の顔面に絡みつき窒息させようとするシーンがあり、これは当時の技術では難しかっただろうなって思う。尤も円谷英二御大ならば克服したかもしれないけど。

 それと怪物がどのように描かれるかも興味深い。『フラバラ』の古畑弘二のようにメイクで済ませるのか、着ぐるみを使うのか等々。なまじ等身大でしかも普通に会話出来るキャラに設定されているだけに、如何にリアル感を出すかは思案のしどころだっただろう。

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 本作は、元々『ガス人間第一号』がアメリカでヒットしたことで向こう側からオファーされた企画だったらしい。そこにオブライエンの『キングコングフランケンシュタイン』の企画が微妙に絡み合って出来上がったのが、この『フランケンシュタイン対ガス人間』のようだ。今回、関沢新一氏による脚本を読んで、本気で「観てみたい!」って思ったけど、もしこの作品が世に生み出されていたならば、おそらく巨大化する“東宝フランケン”2部作は誕生していなかったであろうことを思うと、複雑だ。しかし、没企画とはいえ、こうやって脚本の形でも作品に触れられることは実に有り難い。

 1本の映画が出来上がる裏には無数の没企画・没プロット・没脚本があるというが、過去に遡ってそんなものに触れる機会を得ることの尊さを噛みしめている。