神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

スーパーノアの“夢”を轟天に乗せて……(後篇)

『空飛ぶ戦艦』の換骨奪胎!

 77年の『スターウォーズ』本邦初公開を前に、東宝が“便乗した”スペースオペラの題材が、何故あの時あのタイミングで『轟天』だったのか………? そんな疑問に一応の答えが見つかったのは、最近読んだ雑誌(「特撮秘宝(洋泉社刊)」)の対談記事でのとあるコメントだった。尤もこれは当事者によるものではないから信憑性は欠くものの、どうも『惑星大戦争』の企画(きっとこのタイトルを取りあえず決めて、それから改めて一から企画を立ち上げたことは想像に難くない)が立ち上がった時、時間的制約(1ヶ月半程度の制作日数しかなかったらしい)のため、新たなストーリーを考えるゆとりもなく、そこで過去の“幻の企画”が「夢よもう一度」とばかり、ベースとして復活したらしい。その作品こそ、世が世なら1966年に制作されたであろう、円谷英二企画・特撮監督の作品『空飛ぶ戦艦』である。

 この作品に関しては、「ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイヴ(角川書店刊)」に企画書、シナリオ第一稿、および当時の背景に関する記述が掲載されているので、そこである程度の概要は垣間見ることが出来る。それによると……

 ~アマゾンの奥地に巨大基地を構え、「宇宙水爆衛星」、空飛ぶ軍艦「戦斗艦」といった兵器を駆使して地球侵略を目論む悪の秘密結社MOO(台本では「NOO」)の攻撃による世界の危機に、突如現れた空飛ぶ戦艦「スーパーノア号」が立ち塞がり、MOOの科学兵器と雌雄を決する。その艦長は、美貌の誉れ高く、圧倒的な財力を有しながら異端者として学界財界から追放の憂き目に遭った空飛ぶ戦艦の開発・建造者でもある藤堂要氏の一人娘・藤堂かつみ。やがてかつみと空飛ぶ戦艦は壮絶な戦いの果てにMOOの野望を打ち砕く~

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小松崎茂先生による「スーパーノア号」ってこんなイメージ

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で、成田亨氏デザインの「戦斗艦」はこちら……あれ、どこかで見たような……

 こんな王道ストーリーが用意されていたようだ。特撮監督も務める円谷英二御大が直々に出した企画であり、まだ準備段階ながら、既に円谷特技監督はいうに及ばず、「プロデューサー 田中友幸」「監督 本多猪四郎」「音楽 伊福部昭」という“東宝特撮黄金カルテット”が予定されていたようだ。関沢新一氏による企画用第一稿も、氏の『キングコング対ゴジラ』を彷彿させるような“野球小ネタ”満載で実にテンポがいい。

 1966年の公開が予定されていたものの、残念ながら実現には至らなかった企画だが、円谷御大はよほどこの物語に執着したのか、「MOO→」「スーパーノア号→MJ号」に置き換えた上で、1968年、ついに円谷プロ制作の1時間SF特撮ドラマシリーズ『マイティジャック』として、まずは一つ目の“換骨奪胎”を成し遂げた。その前にも、成田亨氏によるMOO戦斗艦のデザインが「ウルトラセブン」のウルトラホーク1・3号に流用されているようだ。ここら辺りは「季刊宇宙船(朝日ソノラマ刊)」の初期の頃の号に図解入りで紹介されていたが、あいにくその号を買いそびれていて、今は確認することが出来ない……残念!

 改めて『マイティジャック』を観ると、敵側巨大空中戦艦(「ホエール」「ジャンボー」など)とMJ号との迫力あふれる空中戦や、MJ号の秘密基地(スーパーノア号の基地は黒部峡谷の地下)の描写など、当然ながら『空飛ぶ戦艦』との類似点も多く、もしこれがスクリーンで描かれたならばどんなに素晴らしかっただろうか、なんて思いも募るが、また企画の前々年に公開された『海底軍艦』と比較しても作品の世界観に通じるものがあり、完成したらきっと『海底軍艦』の姉妹編になっただろうな、って想像したりする。

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 それ故、この『空飛ぶ戦艦』のスーパーノア号が、更に幾星霜を重ね、再び日の目を見ようとしたとき、真の意味で「轟天」と名前を変えて、空中から宇宙へとその飛行能力を飛躍的に向上させ、より深く『海底軍艦』(及び「轟天号」)の姉妹編として10年後に再度“換骨奪胎”したという事実は、「『SW』のファンを本当に取り込めたのか?」との興行的見地は抜きにして、非常に尊いと思う。かつて「潜水空母伊号403潜が万能の海底軍艦轟天号」として新たな命を授かり、やがてその姉妹編として『空飛ぶ戦艦』の「スーパーノア号」に引き継がれ、それはやがて「MJ号」と姿を変え、それから万能宇宙戦艦「轟天」と受け継がれていく……そんな東宝の、円谷の、日本のSF特撮メカニックの変遷を観るにつけ、もしかしたら東宝の『惑星大戦争』は、『SW』への便乗ではなく、日本特撮の『SW』への挑戦もしくは“回答”だったのかもしれない、なんて思いに駆られたりもするね(;^_^A


 追記
 
 いろいろな資料から、『空飛ぶ戦艦』は文中に記した通り1966年公開の企画だったらしいが、先の「ゴジラ 東宝特撮未発表資料アーカイヴ」によると、「本作のアイディアの一部が“後に”『海底軍艦』に流用された」旨の記述もある。確かに、企画段階での敵組織MOO(『海底軍艦』ではムー帝国)や、スーパーノア号側の船員風の男が怪しげに主人公たちと関わる(同、轟天建武隊の一人が船員のふりをして艦長一人娘・神宮司真琴に近づく)など、『海底軍艦」そのものの場面も多く、『空飛ぶ戦艦』が撮られなかった代わりに『海底軍艦』の方が“換骨奪胎”となったのでは、と思える節もある。

 また、スーパーノア号と戦斗艦との空中戦は、後に、深海ながら縦横無尽に“軍艦バトル”を繰り広げる『緯度0大作戦』における「α号」「黒鮫号」を彷彿させる(「α号」の方は実際空も飛ぶし……)。そんなわけで、まだこの『空飛ぶ軍艦』の謎は深いが、少なくと数多くの東宝・円谷特撮に多大な影響を与えたのは間違いないだろう(ラスト、MOOが宇宙から凸レンズを使って太陽光を集めて地球を焼き尽くす、という計画は、円谷プロヒーロー特撮ドラマ『ジャンボーグA』最終話のデモンゴーネの作戦と酷似しているし……(;^_^A)。