神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

なぜ、戦いたくない者が、決して戦場に赴くことのない輩によって、戦わさせられるのか?

 先日『メンフィス・ベル』を観賞。ドイツの工業地帯への爆撃を命じられたB-17の乗組員たちの人間模様を、その奇跡の生還まで描いたもう30年以上も前の作品だが、制作者(国?)の意図もあって、乗組員たちの生死に思わず手に汗握る展開になっている。

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 しかしながら爆撃の対象となる敵国ドイツは、かつての同盟国なんだから、このストーリーをまんまB-29の乗組員に移して描いたら、それこそとんでもない映画になってしまう。そう思うと素直には観賞できなかったな。
でも思ったのは、そこに登場する乗組員たちは、戦争さえなければ自分たちの母国での平凡な職務を全うして……つまり好きこのんでこんなところで戦争に従事することをよしとは思っていなかった面々だったということ。意外と最前線で戦う兵士たちは、みんな“戦いたくない"者ばかりなんじゃないかな。どんな戦争映画でも、戦いたくて(人を殺したくて)ウズウズしているキャラは、たいがいかなりの“変人”扱いされているもの……
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 強かろうが弱かろうが、勝とうが負けようが、現実問題として、“戦いたい者”と“戦う者”に接点はなく、決して戦場に赴かない者がこぞって“戦争せよ”とうそぶき、実際戦うのは“戦いたくない者”ばかり。そこに戦争の最大の矛盾がある。

 この映画を見ていても、「どうして戦いたくない者同士が血で血を洗う事態になる前に外交手段はなかったのか」と思ってしまう。現実社会でも言うでしょう、「手を出した方が負け」って。
 
 戦って死のうが、無抵抗で死のうが、死は死なんだから、わざわざ“戦ってまで死ぬ”ことはない。我が国は平和憲法を盾に、したたかに生きていけばいいだけだ。

 なぜみんな、そう思わないのかなぁ……