『幸せの黄色いハンカチ』
その時まで、「高倉健」という俳優は“怖い人”だった。勿論巷で「健さん」と呼ばれていたことは知っていたけれど、当時多く見かけた、眼光鋭く、着流しの上半身をはだけて、背中には入れ墨、腕には長ドスを構えて立っている、白黒のポスターと、「ヤクザ映画」というカテゴリーが、小中学生の私にとっては何とも不気味で恐ろしく、「まんがまつり」以外では当時の広島東映へ足を運ぶことはなかった。
そんな“ヤクザ=高倉健”のイメージを一新させたのは、『幸せの黄色いハンカチ』をTVで観てからだ。封切り時、試写会に当たった母がこの映画を鑑賞後、すっかり“健さん”贔屓になってしまった映画だったが、私はその話も胡散臭く、あまり期待せずにこの映画を「水曜ロードショー」の枠で観た。
主人公の一人である武田鉄矢がどうしようもなく不器用で情けなく、桃井かおりはまだ色香を漂わせながらもどうも野暮ったくてスッキリしない。そんな二人の珍道中にいきなり割って入ったのが件の健さん。最初は感情移入していた鉄也の不器用な“ナンパ道”に水を差すかに見えた健さんが、人となりが明らかにされるうちに、あたかも二人の“天使”のように見えてくる、そんなロードムービーだった。まるで“任侠の世界”しか知らない健さんが、素で悪戦苦闘しているような滑稽さ、きどらなさ、ずっこけぶりがなんとも楽しく 、いつの間にか“ヤクザ=高倉健”のイメージが払拭されていた。否、まるで後にハマッた『網走番外地』の番外編ともいえる展開で、『任侠映画』を経て“服役”した健さんが、ようやく娑婆に出てきた、そんな戸惑いを全身で表現しているのが本作ではないか、と今思うと強く感じる。
出所後、最初に入った定食屋で、震える手で“久しぶりのビール”を口にする迫真の演技は、滑稽さの中に凄まじいリアルが伺えて、後々「やっぱり健さんは、日本で一番『出所直後』が似合う俳優だ」なんて不謹慎にも思ったものだった。倍賞千絵子演じる“バツイチ”の女性に不器用な愛情しか示せないもぞかしさも素敵だった。
こうやって私の中の“高倉健”像は180度と言っていいほど変容した。当時は丁度東映と決別して高倉プロを設立し、大映の『君よ憤怒の河を渡れ』や東宝の『八甲田山』、古巣の東映で『冬の華』、角川映画の『野生の証明』など、次々と大作に主演し、『冬の華』以外では、ヤクザの“衣”を脱ぎ捨てて、まさに“スーパーマン”と化して
今、昔の臆病さからは信じられないほど、深く「任侠」「実録」といったヤクザ映画や東映系B級映画にすっかりハマッているが、そんな身で考えると、逆に健さんは「我々のフィールドから大俳優になった」という点で、人情喜劇に拘りながらスーパースターとなった渥美清氏と同様、出自から“こっち側”の愛すべき俳優だったといえるかもしれない。