神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

映画を矯めるべからず

 今年公開されたハリウッド(2014年)版『GODZILLA』。本作についてはいろんな意見、アプローチが成されているが、語弊を承知で書くならば、私には『ゴジラミレニアム』のリメイクに思えたね。もっとも未だかつて同様の意見を見聞きしたことは皆無だけど……
 
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 それはさておき、今回の『GODZILLA』は意外にも、その出自や動物的本能、存在意義が、対立する怪獣ムトーと同様、わりと曖昧に描かれていたような気がする。ただそれを持って「けしからん!」という訳ではなく、別にそんな細部にわたって必然性を持たせなくても娯楽映画は通用するのでは、ということを言いたいのだ。
 
 翻って、『ガッチャマン』に代表される昨今のSF娯楽映画は、近年の科学技術の発達に伴って、科学的考証やディティールに拘りすぎているような気がする。科学忍者隊ガッチャマンなんて、荒唐無稽の武器をひっさげて、地球侵略を狙うギャラクターから人類を守るために決死の戦いを繰り広げる……それだけでイイじゃない。別になんで5人がガッチャマンになったか、とかベルクカッツェの出自など(まあこれは原作アニメにも描かれていたけど)、知らなくても構わない。ただ形振り構わず激しいアクションとメカによる戦闘を描いてくれたら十分だ。それで悪が滅べばこの上ない。
 
 とはいうものの、我々も以前は東宝ゴジラ』シリーズの矛盾を大いに指摘し、時には第一作でさえ「オキシジュンデストロイヤーの完成はご都合主義過ぎる」と批判したこともあった。その背景には「『ゴジラ』をはじめとする怪獣特撮映画を『子供向け』と揶揄されたくない」との思いがあったわけだが、今こうしていいオッサンになったら、“ご都合主義”“お子様ランチ”の最たる作品であった、かの『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』や『ゴジラ対メガロ”でさえ、笑って観ることが出来るようになった。
 
 過去の作品をリメイクすると、どうしても今の科学技術を基準に考え、当時ならば許容されていた設定にさえメスを入れざるを得ない、との風潮があるようだ。でも映画は(いい意味で)所詮虚構なんだから、そんな小難しいことに目くじらを立てず、「これhが映画だから」と割り切って、もっと楽しいところだけ描いてうんと楽しめばいい。
 
 学生時代、映画論の恩師から教授されたのが「大きな嘘をつくためには小さな嘘をつくな」というアドバイスで、インディーズの映画製作の現場でも、ずっとそのことを肝に銘じてきた。しかし、映画を理屈でがんじがらめにしても面白くない。時には、徹底的に“あり得ない設定”“ご都合主義の展開”で大いに楽しめる映画をどんどん作ってほしいし、また作ってみたいと思う。