今こそカープと「球心」
私の父の命日と同年同日、父とは一歳上の、広島にとって著名な存在が同じように世を去った。津田一男氏である。
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/T/TBoss/20010101/20010101075840.jpg)
昭和50年の広島東洋カープ初優勝をリアルタイムで知る者にとって、中国新聞で連載されていた「球心」を知らない者はいないだろう。試合結果とは別に、その日にカープについて言及したコラム。「勝って奢らず、負けて腐さず」をモットーに、当時のカープファンにとって、広島人にとって“バイブル”のようなコラムだった。そんな津田氏の経歴を描いたローカルのドキュメンタリーを見つけた。
今でこそセリーグ3連覇を遂げた広島東洋カープながら、昭和50年を迎えるまでは、リーグ優勝なんて口にするのもおこがましい“お荷物球団”だった。戦績は二の次、いかにして“存続:するか”に腐心した、典型的な“ローカル貧乏球団”だった。しかしながら、原爆禍からの復興に燃える広島人の過剰なる期待を胸に秘めたチームでもあった。そんなファンの気持ちを代弁し、且つファンの溜飲を下げる役割を果たしたのが、津田一男氏の「球心」であった。正直、当時我が家での定期購読していた中国新聞のスポーツ欄では、試合結果よりも「球心」ばかり読んでいたような気がする。
そんな津田氏の特別な1975年10月16日(初優勝の翌日)の「球心記事がこちら
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/T/TBoss/20010101/20010101075850.jpg)
真っ赤な、真っ赤な、炎と燃える真っ赤な花が、いま、まぎれもなく開いた。
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。
苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。
カープは春の初め、はち切れそうなつぼみをつけても、開くことのない花であった。
花の咲かない雑草であった。
来る年も、来る年も・・・
原爆に打ちひしがれた広島の人びとの心のよりどころに、と結成されたカープ。
カープは原爆の野に息吹いたペンペン草、踏みにじられ、見捨てられても、屈することのない雑草であった。
それ故にカープファンは、いつの日か花開くことを夢見て、愛し続けてきたに違いない。
海の向こうからやってきたルーツおじさんは、この雑草を一年間じっくり観察した。
そして、二年目、「咲かせてみせましょう」と乗り出し、入念な手入れをすませると、さっさと帰っていった。
祝福の万歳が津波のように寄せては、返している。
苦節26年、開くことのなかったつぼみが、ついに大輪の真っ赤な花となって開いたのだ。
カープは春の初め、はち切れそうなつぼみをつけても、開くことのない花であった。
花の咲かない雑草であった。
来る年も、来る年も・・・
原爆に打ちひしがれた広島の人びとの心のよりどころに、と結成されたカープ。
カープは原爆の野に息吹いたペンペン草、踏みにじられ、見捨てられても、屈することのない雑草であった。
それ故にカープファンは、いつの日か花開くことを夢見て、愛し続けてきたに違いない。
海の向こうからやってきたルーツおじさんは、この雑草を一年間じっくり観察した。
そして、二年目、「咲かせてみせましょう」と乗り出し、入念な手入れをすませると、さっさと帰っていった。
つぼみは日ごとに赤みを増し、生き生きと膨らんでいった。
水枯れの夏にも屈せず、台風の秋にも折れず・・・
十月十五日、つぼみはついに真っ赤な花を咲かせた。
なんと長い、待ちに待ったその瞬間であったことか。
宙に浮く古葉の姿が涙にかすむ。
古葉もまた泣いていることだろう。
浩二はお立ち台で、コブシで涙をぬぐっている。
そして外木場が、大下が、三村が・・・
みんな抱き合って・・・
広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。
よかった。
本当によかった。
そして、この喜びを、今は亡きカープを愛した人人に告げ、喜びをともにしたい。
カープを、いまわの際まで愛し続けたみなさん、見ましたか、カープのきょうのこの快挙をー。
この一年、不撓不屈、明るく勇ましく、一丸となって戦ってきたカープの集約された姿がそこにありました。
強運の大下がたたいた、あの先制点。この1点、守り切るぞーとまなじりを決して投げた外木場。
あとは任せておけーと不死身の金城。
そして最後にはホプキンスの3ランがついに、ついに、”V1”へのさん然と輝く栄光の橋を手ごたえも確 か
水枯れの夏にも屈せず、台風の秋にも折れず・・・
十月十五日、つぼみはついに真っ赤な花を咲かせた。
なんと長い、待ちに待ったその瞬間であったことか。
宙に浮く古葉の姿が涙にかすむ。
古葉もまた泣いていることだろう。
浩二はお立ち台で、コブシで涙をぬぐっている。
そして外木場が、大下が、三村が・・・
みんな抱き合って・・・
広島の街は喜びの人々であふれていることだろう。
よかった。
本当によかった。
そして、この喜びを、今は亡きカープを愛した人人に告げ、喜びをともにしたい。
カープを、いまわの際まで愛し続けたみなさん、見ましたか、カープのきょうのこの快挙をー。
この一年、不撓不屈、明るく勇ましく、一丸となって戦ってきたカープの集約された姿がそこにありました。
強運の大下がたたいた、あの先制点。この1点、守り切るぞーとまなじりを決して投げた外木場。
あとは任せておけーと不死身の金城。
そして最後にはホプキンスの3ランがついに、ついに、”V1”へのさん然と輝く栄光の橋を手ごたえも確 か
にかけた。
あの虹の橋を何度夢見たことか。
その虹の橋が、いまはゆるぎない鉄の橋となり、その上で赤い帽子のナインが、涙の笑顔で手を振ってい
あの虹の橋を何度夢見たことか。
その虹の橋が、いまはゆるぎない鉄の橋となり、その上で赤い帽子のナインが、涙の笑顔で手を振ってい