神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

あのユニで、あの球場で、今………

 昨晩は月曜日ながら、かつての「マンデーパリーグ」を彷彿させるような、パリーグ公式戦、北海道日本ハムvs埼玉西武ライオンズ戦がナイターで行われていた、しかも「レジェンドシリーズ」の一環で日ハムの選手が身につけているのは往年の東映フライヤーズの復刻ユニフォーム。しかも舞台は後楽園球場の流れを汲む東京ドーム(本当は駒沢球場といきたいところだけれど、これは東京五輪のために解体されてしまった……まるで国立競技場みたい……)。そこで小学生の娘に「あの袖の三角マーク分かるか?」と問うと、「ああ、岩に波がバシャーンの」……“教育は行き届いているようで………(;^_^A

 さて、そんな復刻ユニに身を包む日ハム選手のその袖に、小さな黒い喪章がつけられていた。最初は「誰の?」なんて思った(急逝した森コーチは西武だし?)が、すぐに気付いた。「ああ、これは上田利治氏のものだ」と。

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 故上田監督のことは昨日のブログにも書いたが、確かに最後に監督を務めたのは、この日本ハムファイターズ(「北海道」がつく前)だった。戦力の整ったライオンズのオファーを断ってまで、当時弱体化した古巣阪急ブレーブスの監督に就任するなど、ある意味侠気のある人物だったが、そんなわけでどうしても阪急・オリックスの印象が強い氏のことを僅か数年監督を務めたと言うことだけで、これだけ心をこめて見送ろうとする日本ハム球団の律儀さと心意気に、何だか胸が熱くなったよ(;^_^A 反面黎明期のオリックスブレーブスを支えた氏に対して、件のオリックス球団はきちんと哀悼の意を表したのだろうか?(もし表していたらゴメンヾ(ーー ))

 それにしても、現在のNPB12球団を見渡しても、パの栗山(元ヤクルト)・梨田(元近鉄)・伊藤(元西武)・辻(元西武)・福良(元阪急)・工藤(元西武・ダイエー他)にしても、セの緒方(元広島)・金本(元広島・阪神)・ラミレス(元ヤクルト・読売他)・森(元西武)・高橋(元読売)・真中(元ヤクルト)にしても、現役時代を知っている皆年下の監督ばかりだ。かつては西本幸雄江藤慎一金田正一中西太野村克也古葉竹識与那嶺要吉田義男、荒川猛、秋山登長嶋茂雄といった蒼々たるメンバーが12球団の監督を務め(1975年当時)、そんな中で現役時代が一番地味だった上田利治率いる阪急ブレーブスがその年の日本一になったのだから、今思うと実に小気味よい(;^_^A

 かつて大学時代、かの村山実とバッテリーを組みながら、プロに進む自身がなく、「3,4年プレーしたら(親会社の)東洋工業の社員にするから」と口説かれて広島東洋カープに入団したエピソードも微笑ましいが、僅か2年で現役を引退し、以後プロ野球最年少の25歳でコーチを務めるなど、まさにコーチ・監督としてプロ野球界に貢献した、数少ないプロ野球人といえる。

 ところで、1978年の日本シリーズにおいてファールかホームランかで1時間以上におよぶ中断劇を巻き起こしたもう一人の“主役”であった大杉勝男は、ヤクルトに来る前は、この「東映フライヤーズ」の一員だった。かつて大杉が来た「フライヤーズ」のユニフォームを着、かつて日本シリーズの大中断劇を引き起こした後楽園球場の流れを汲む東京ドームでの試合に、もう一人の渦中の人であった故上田利治氏の喪章をつけて、選手がプレーする。なんとも運命の皮肉を感じずにはいられない光景であった………

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日本ハム4-11西武>◇3日◇東京ドーム
 日本ハムは、1日に肺炎のため死去した上田利治元監督をしのんで、肩に喪章をつけてプレーした。
 
 阪急(現オリックス)を3度、日本一に導いた名将は、1995年から5年間は日本ハムで指揮を執った。試合前はかつて采配を振った本拠地にユニホーム姿の映像が流れ、選手らは黙とうをささげた。