神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「遊星より愛をこめて」に愛をこめて……

 私が敬愛して止まない映画監督の一人に、実相寺昭雄監督の存在がある。残念ながら鬼籍に入られて久しいが、その作風、世界観は素晴らしいものがあった。特に映画よりもTVの特撮ドラマにおいてその才能は発揮できたのではないかと思う。そんな実相寺監督の作品の中で、現在諸事情により欠番となり、闇に葬り去られた作品について、今回は触れてみたい。タイトルも当団体の“広島発ヒロインアクションムービー”第一弾『令嬢探偵★モロボシアイ』のサブタイトルのイメージにもなっている「遊星より愛をこめて」である。以下にその内容及び検証を書き連ねてみたい。

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 1967年12月17日、当時TBS系で放映されていた「ウルトラセブン」の第12話「遊星より愛をこめて」がオンエアされた。それから40年、この作品は後述する事情によって欠番(円谷プロがフィルムを処分したと聞く)となり、再三に渡る再放送・ビデオ(DVD)化の際にも全く放映・収録されなくなってしまった。まさに“幻”の作品である(ちなみに脚本佐々木守・監督実相寺昭雄のコンビによる)。

 この12話に関して、ずっと何も分からない状態が続いたが、今から四半世紀前、とある知人から「学生時代、あるルートから手に入れた」という、全く信じられないが、すり切れたようなダピングビデオを所有しているとの話を聞き、半信半疑ながら、そのビデオを視聴する機会に恵まれた(ちなみに今は音信不通故、視聴不可能である)。

 「遊星より愛をこめて」は、宇宙パトロールをするソガとアマギが、宇宙空間から、微量の放射能反応を察知したとの連絡を送ることから始まる。連絡を受けた隊長キリヤマの「最近までは地球でも核の脅威にさらされていたがな」とつぶやくシーンが印象的である。それから数日後、都内で年頃の女性が次々と極度の貧血に見まわれるという事件が起こる。その女性達は皆、腕に共通の見慣れない腕時計をはめていた。その時計の材質は、地球上に存在せず、しかも隊員の一人であるアンヌの同級生サナエがつけていた時計と同じものだったこともあり、ウルトラ警備隊も本格的な捜査に乗り出す。

 サナエの話によると、時計は彼女の婚約者であるサタケからのプレゼントであり、二人のデートの場に顔を出したアンヌは、サタケを詰問し、彼が時計の入手先について曖昧な答えしか出来ないことに注目する。丁度その頃、サナエの弟が小学校で極度の貧血に襲われる。直ちに急行したサナエとアンヌは、弟が姉の腕時計を勝手に持ち出し、つけていたことを知る。これで事件の真相にサタケが深く関与していることを確信したアンヌは、ダンを呼び、再び合流したサナエとサタケの後を尾行する。案の定、サタケはデートの別れ際、サナエから例の腕時計を受け取ると、彼らの尾行があるとも知らず、とある怪しげな建造物の中に姿を隠す。その建造物こそ、地球進出を画策するスペル星人のアジトだったのである。

 核兵器スペリウム爆弾の実験に失敗し、その結果大量の放射能に被曝してしまったスペル星人は、生命及び種保存の危機から、その放射能に汚染され疲弊した血液を入れ替えるべく、地球人の血液を例の腕時計を使って採取していたのである。当初は色男を装い、若い女性の血液ばかり狙っていた彼らも、偶然サナエの弟の血液を採取したことから、子供の血液の方がより新鮮で、彼らの生命維持に繋がることに気づき、作戦を変更、「宇宙船の絵を描いて宇宙時計を貰おう」なるイベントを画策して、多くの児童をアジトに招こうとする。それを必死に止めるウルトラ警備隊員達。そこへ遂に巨大化したスペル星人が姿を現した。

 一方、サタケに弟をさらわれたダンとアンヌは、サナエを拾うと、ポインターで彼らの後を追う。最愛の婚約者がエイリアンであった事実を容易に信じられなかったサナエも、彼女の前でサタケがスペル星人に変身する様を目の当たりにして愕然とする。その後、夕日を背景にセブンとスペル星人との戦いが、円盤とウルトラホーク1号との追撃戦と相まって、あたかも同じ実相寺監督作品である「ウルトラマン」第35話「怪獣墓場」に於けるウルトラマンシーボーズとの戦闘よろしくストップモーションで描かれる。この戦闘も、ホーク1号がスペル円盤を撃墜し、セブンのアイスラッガーが巨大化スペル星人を真っ二つに切り裂くところで終焉を迎える。

 ラストは、大きな夕日の中、サナエが宇宙人ではあったがサタケとの交流を思い出し、「いつかは人類と宇宙人とは分かり合える時が来る」等々の台詞を吐き、それにダン(ことウルトラセブン)が、心の中で呼応するという、美しいシーンで幕を閉じる。哀愁を漂わせながらも、実に清々しい物語である。

 こんな素晴らしい作品が、欠番になってしまった背景については、別冊宝島「怪獣学・入門!」の初版に詳しい検証が為されていたので、その原稿である程度明らかになったのだが、何と本作品のテーマの一つでもあるべき「原爆-放射能の脅威」が曲解されてしまったことが原因だったようである。しかもそれは「帰ってきたウルトラマン」放映間近のウルトラブームで、かつてのウルトラ怪獣(星人)が少年雑誌に載った際、スペル星人の説明記事に、その火傷の跡の生々しい容姿及び境遇の故か、極めて配慮を掛ける(そして被爆者を傷つける)ような(差別的な)呼称が、勝手につけられたために、物語の内容も検証しないままの平和団体による激しいクレームと、それに伴う円谷プロの迅速すぎる自主規制によって、この傑作は闇に葬り去られてしまったのである。 

 今回、私が敢えてこの“タブー”に挑んだのは、私がヒロシマに生まれ、長年原爆の脅威を学び、身近に多くの被曝体験者がおり、原爆テーマの自主映画も制作して来たという立場をしても、この第12話が半世紀に渡って受けてきた誤解を払拭し、早く正当な評価を受け、万人の目に晒されることを願ってのことである。はっきり言おう。この作品は、ヒロシマの悲劇を、そして核の脅威を伝える作品として、同じくセブン第26話の「超兵器R1号」(地球軍の核兵器の実験によって故郷を破壊されたギエロン星獣が地球で暴れる、核競争を「血を吐きながら続ける哀しいマラソン」と称した傑作)と共に、平和学習の教材にも成りうる素晴らしい作品である。狂気の核実験から故郷を死の灰に覆われてしまったスペル星の悲劇は、今の地球への警告になっているではないか。

 夕陽を背景にした特撮といえば、ほぼ同時期に制作された、これも実相寺監督による第10話、「狙われた街」のウルトラセブンメトロン星人との戦闘シーンが思い浮かぶ(きっと特撮は12話と一緒に行ったのだろう)が、この作品と12話とは見事な対になっている。というのも、10話が地球人同士の信頼関係を失わせて地球を侵略する作戦であるのに対し、12話は前述の如く、地球人はおろか宇宙人とでも信頼関係は築けるという希望的なラストを迎えるからだ。

 「ウルトラセブン」という、全49話に渡る“大河ドラマ”として観る場合、この10話と12話との対称は、絶対必要だった(少なくとも実相寺監督はそう思っていたはずだ)のではないだろうか。

 だからこそ円谷プロは、もうそろそろ勇気を持って、この12話をソフト化して欲しい。そして被曝団体の、平和団体の誤解を、払拭して貰いたい。

被爆地・ヒロシマに住む者として、願って止まない。