神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『暗黒街の顔役』 東宝特撮と喜八マジックの狭間で

 かねてより録画していた『暗黒街の顔役』(1959 東宝)をようやく観賞。

 この『暗黒街の顔役』の存在を知ったのは、意外にも『地球攻撃命令 ゴジラガイガン』サントラのライナーノーツから。「作曲 伊福部昭」としながら、書き下ろしの曲は全くなく、全て過去の伊福部作品(非特撮を含む)からの流用という、ライブ中心の映像も含め、まさに“パッチワーク”のような作品なんだけど、そのオープニングに使用されたのが、この『暗黒街の顔役』のものだった、と書かれていて、それでなぜだか興味を持った。そしてこの度CSにて観賞がかなった。

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 映画はのっけから『モスラ対ゴジラ』のインファント島のテーマが流れまくり(年代からオリジナルはこっち)、しか
もキャストに宝田明平田昭彦夏木陽介白川由美河津清三郎・桐野洋雄・山本廉・堺左千夫中丸忠雄・沢村いき雄といった、コテコテの東宝特撮キャラが出演し、いきなり“こっち側”の雰囲気を醸し出していた。そんな中、岡本喜八監督の常連である佐藤允天本英世といった役者も名を連ね、邦画界全盛期を彷彿させるなんとも豪華なラインナップだった。そんな中主人公を務めるのが鶴田浩二。二大主演といっていい三船敏郎は“らしくない”中小自動車工場の正義感は強いが気が弱い工場主・樫村を演じていた。ちなみにこの工場ではヤクザの差し金として工場に派遣され三船を威圧する清という工員の役で前出の夏木陽介が“らしくない”子悪党ぶりを演じていたのは面白かったな。そう言えば『ゴジラ』の高堂国典が、短いシーンながら存在感抜群の濃い演技を魅せてくれていた(;^_^A

 作品は、これをジョン・ウー監督が観て『男たちの挽歌』を撮ったんじゃないかってぐらい、フィルムノワールともいうべき世界観の中、ヤクザ社会の非情な掟に翻弄される鶴田・宝田の兄弟を描いた作品に仕上がっている。鶴田演じる横光組の幹部・小松竜太にはヤクザ社会に馴染めず専らバーの歌手として活動する弟・峰夫(宝田)がいるか、ある時殺しの現場に運転手として関わった際、喫茶店の女給・かな子(笹るみ子 なんと「へんちんポコイダー」ことなべやかんの実母!)にその姿を見られてしまった。それによって峰夫から組に殺しの足がつくことを怖れる組長(河津)と、頑なにステージに立ち続ける峰夫との板挟みで苦悩する竜太を中心に物語は展開していくんだけれど、ここに岡本監督独特のハイセンスな映像とテンポ良いカット割りが絡み、観ていてワクワクしてくる。特に、外国人の賭場に竜太がアニキ格の幹部・須藤(平田昭彦)と殴り込みをかけるシーンは、なんともスタイリッシュだった。

 しかしそこには邦画独特というか、鶴田には施設に預けられた足に障害を持つ息子がいたり、鶴田の弟の宝田に身籠のフィアンセ・陽子(柳川慶子)がいたり、となかなか男社会のクールな展開にはいたらない。もっとも、劇中・竜太の監視役となって蛭のようにつきまとう殺し屋・五郎(佐藤允)の不気味さや、愛くるしいキャラクターを魅せてくれていたはずのかな子が、金で雇われた小山(天本英世)にあっさり轢き殺されてしまうところにフィルムノワールの香りを感じ取ることができた。また、竜太の組における唯一の理解者でもある須藤が、ことの収拾に向かう直前に殺害されるシーンも、伏線の張り方が絶妙で、より絶望感を醸し出していた。

 そして何よりそのラスト、これでもかといいくらい強権かつ姑息な悪党ぶりを発揮する組長と、竜太と事ある度に衝突する武闘派の黒崎(田中春男)の乗る車が、それを決死の覚悟で追う手負いの竜太の手ではなく、警察の追っ手を振り切ろうとして土手に衝突し、そのまま焼け死に、しかも竜太も車内で事切れる、というカタルシスのない何ともやるせない結末を迎えるのは、まさにフィルムノワールの確固たる所以と言うべき展開だったのかも知れない。

 僅か1時間45分弱の尺に、上記のストーリーが、竜太と息子との親子愛、施設の先生・純子(白川冬美)との仄かな恋、組長の情婦・リエ(草笛光子)との微妙な関係、峰夫と陽子の密やかに燃え上がる恋情などを織り込みながら凝縮され、濃密な物語として昇華している。イーストマンカラー総天然色ならではの質感溢れる奥深い映像も相まって、「映画を見届けた充実感に包まれる作品だった。


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