神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

憲法“祈念”日とヒロイン

 今日は「憲法記念日」。戦後「日本国憲法」が施行された日だ。この日ばかりは「憲法」と名がつけば何でも有りで、片や“護憲”片や“改憲”と、それぞれのイデオロギーが交錯する日でもある。尤も、例えば「終戦記念の日」に「戦争しろ!」とか「勤労感謝の日」に「もっと働け!」なんて声高に叫んだり行動するのは、それこそ『13日の金曜日』に代表される「記念日スラッシャー」モノのアメリカンホラーみたいに特殊なものだったはずなのに、「憲法施行」を“記念”する日に現憲法を否定するとはいかがなモノか。しかもそんな輩が上から下まで不気味に“発生”している昨今は、それこそ「憲法“祈念”日」って訂正したいくらいの危機感に溢れている。

 それにしても、なんで「PEACE」を“平和”って和訳しちゃったんだろう。別に相手と「和」さなくても、相手の自分と異なる点を尊重した上で、その言動を思いやればいいだけなのに。もちろんそこには双方の「不可侵」が前提だけれど……そこで、以前書いたように相手に決して「和」まで求めず、ただただ“不可侵”の「戦争放棄」を謳った日本国憲法第九条が、例え他国からの押しつけであろうとなかろうと、究極の“PEACE”を希求した条文であることは日本人として全世界に誇っていい。だって、施行後日本はずっと戦闘状態に入ってないじゃない。よく「アメリカの核の傘の下」なんていうけれど、そもそも核開発国の“傘の下”に入って入ろうがなかろうが、どの国もナガサキ以降一度たりとも直接的な核攻撃を受けてはいないじゃないか。それこそ、福島第一原発を“放置”していることの方が、よっぽど太平洋沿岸諸国に対する「核人災」といってもいい(だから、国を挙げて何よりも“フクイチ”の収拾に努めなきゃならないのに、その為に国民の不都合と不便が生じようとも、税金と人材を福島に徹底的に投入しなければいけないのに、巷ではオリンピックに浮かれるばかり……)。

 何はともあれ、日本語における「平和」の意(平らかに治める)を超えた意味を持つ“第九条”をなんとしても守っていきたいということ。そうは言っても、国政に打って出ることなんて考えることも出来ない自分にとっては、先人の「昭和プログラムピクチャーの伝道師」に倣って、例え自主映画であろうとも「ゴラク映画」の範疇で、アイロニーとしてこれを訴えていくしなかい。そう考えると、もう仕事が家事が忙しいなんて言っていられない! ヒロインアクションムービーのカテゴリーで“平和(と敢えて書く)の使徒”の企画を立ち上げなければ。そしてなんとか来年の「憲法記念日」までには形にしなければ。

 現状を考えたら、まだまだ思いつきの、なんの宛もない、そして実現がおぼつかない企画だけど、同様に思いつきで書いただけの『学園特捜☆伍代聖羅』が紆余曲折を経て形を変えながら“実現”したことを考えると、満更絵空事ともいえない。そんな決意を、73周年の「憲法記念日」に宣言したいと思う。

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 もうタイトルもイメージしてるんだけれど、実現したらこんなファンタジックなヒロインになるかも知れない(;^_^A


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