神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

なぁつのお・わ・りィ~♪

 100回記念大会の全国高校野球選手権に勝ち進んだ母校には、是非昨年の雪辱を果たして、「ああ、昨年度の準優勝は、100回記念大会に真紅の優勝旗を勝ちとるための“伏線”だったんだ」なんて展開の“夢”を期待していたのに……朝8時開始の初戦であっという間に負けてしまった。まるで韓流映画『スーパースター☆カムサヨン』の悲劇的結末のように……まさか今日の午前中にこの夏最大の楽しみがあっさり消え去ってしまうとは(ノ_-。) 二松学舎大附高はカープ鈴木誠也の母校だし、出場が決まったときは嬉しかったんだよ。それがよりによってウチと当たるとはなぁ……なんてしばらくは「嘆き節」になりそうヾ(--;)



全国高校野球選手権二松学舎大付5-2広陵>◇12日◇2回戦
  二松学舎大付(東東京)が2年連続で初戦を突破し16強入りを決めた。
 2-2同点で迎えた7回裏、1死二、三塁から1番の右田稜真(2年)外野手が右前へ勝ち越しの2点適時打を放った。
  守っては4回途中からリリーフした岸川海投手(3年)が好投。5回にソロ本塁打を浴びたが6回以降は2安打無失点に抑えた。最速は147キロをマークした。
  広陵(広島)は序盤の好機を生かせず後手に回ってしまった。昨夏準優勝校が初戦で姿を消した。


 ところで不思議に思ったのは、広陵高校吹奏楽部がスタンドにいなかったこと。スタンドの音を聞いて違和感があったが、まさか本当に来ていないとは……同窓の親友からも同様のメールを貰って、やはり自分の耳に間違いはなかったんだ、と確信したんだけれど、そのいきさつは理解できなかった。

 しかし、「広陵 甲子園 応援 ブラスバンドなし」のキーワードで検索したら、今回吹奏楽部のコンクールと試合日程が重なってしまったことから、コンクールを優先したがための不参加だったらしい。まあ、吹奏楽にとってはコンクールが“甲子園”(ていうか県予選)みたいなものだから、それは致し方ないことだ。それよりも、ウチの吹奏楽部がとうとうコンクールにまともに出るようなクラブに成長したってことが、弱小時代を経験しているOBにとっては何とも嬉しかったよ(;^_^A  私がいた頃は野球部の応援が主目的のような吹奏楽部……否“ブラバン”で、当時は部員も8人で全て金管だったもんな……でも「甲子園で演奏する」ってのが究極の目標だったから、在学中に二度も甲子園のアルプスでトランペットが吹けたんだから本望だったな(^^)

 それにしても、卒業してから何十年も経つと隔世の感があるね。今じゃ男女共学だし……クラブの方も洗練されて強く上手くなった(^^) また来年は、実際に球場で、野球部の、吹奏楽の活躍に期待したいね(;^_^A

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広陵、迫力の声ラッパ応援 吹奏楽部はコンクールに全力
https://www.asahi.com/articles/ASL8D3RZ0L8DPITB002.html

 「まだまだこれからだぞ」
 12日の二松学舎大付(東東京)戦で、広陵(広島)は一回に2点を失ったが、広島大会決勝では3点差を追いついた経験がある。持ち前の強力打線に期待し、3千人を超える満員のアルプススタンドからは大きな声援が飛んだ。
 この日、スタンドに吹奏楽部の姿はなかった。第59回広島県吹奏楽コンクールに出場するため、応援に駆けつけられなかったからだ。それでも、小野時央(ときお)君(3年)ら野球部員は「声のラッパ」を披露。「パッパッパー」と応援歌のメロディーに合わせて盛り上げ、選手を後押しした。
 四回、高田桐利(きり)君(同)の適時打で1点を返すと、五回には福光竜平君の本塁打で同点に。「声張っていくぞ」。小野君のかけ声で、スタンドの熱気は最高潮に達した。
 投げてはエースの森悠祐君が二回以降は立ち直り、六回まで無失点。父啓太さん(42)は「気持ちを込めたいい投球。一球一球を悔いのないように投げて」と見守っていた。
 相手を上回る10安打を放ったが、惜敗。試合後、涙を流す部員もいたが、最後は「今までありがとう」と拍手で選手の健闘をたたえていた。
 吹奏楽部のいないスタンドに、ツイッターでは「寂しい」「残念」という声が広がる一方、「口ラッパ応援、グッときた」「声量すごい」との書き込みもあった。
 コンクールの演奏を終えた部長の風早(かざはや)ももかさん(3年)は「甲子園の応援に行けないのは残念。でも今日は自分たちのことに集中しようと思って、朝からみんなで『野球部』は禁句、と約束していました」。顧問の石原翔教諭は、「元々は部員47人全員で甲子園へ行く予定だった。野球部の応援がしたくて吹奏楽部に入ってくる子もいるくらいなので、行けないのは残念だけれど、楽しんで演奏できました」と話した。(原田悠自)