神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

当たり前の「明日」を希求する

 黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』という作品がある。これは1945年8月9日11時2分に、長崎に原爆「ファットマン」が投下される24時間前からその直前までを描いた、実験的且つ意欲的な作品だ。『ひろしま』『はだしのゲン(実写版)』『黒い雨』『原爆の子』『桜隊散る』等々原爆を描いた作品は枚挙に暇がないが、それはどれもあの原爆炸裂の瞬間を何らかの形で描き、「原爆前⇔原爆後」を直接的に取り扱っていた。しかしこの『TOMORROW 明日』は原爆投下の直前までしか描かれていない。観る者は、その翌日、まさに“TOMORROW”に登場人物の身に降りかかる宿命を容易に想像出来るだけに、何も知らない彼ら彼女らの生き生きとした日常に、狂おしいまでの儚さ、苦しさを感じてしまうのである。その直後の“日常が消し飛んでしまう絶望”を知っているだけに……

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 広島県の福山工業高校の工業科クラブが、原爆によって破壊される前の猿楽町を3D映像で忠実に復元し、当時の生存者の証言を元に細部までリアルに仕上げた後に、そこに原爆投下の映像を加え、日常が突如として地獄と化す様を描き出している。変な話だが、原爆によって多くの資料が消失したこともあって、ともすれば、被爆直後の焼け野原画像・映像に馴れてしまって、そこにかつて普通の街並みが存在していたなんてなかなかイメージ出来なかった。勿論、今平和公園のある場所が戦前戦中は繁華街だったことなんて、恥ずかしながら社会人になって初めて知った。

 先の東北の大地震禍で、津波によって根こそぎ破壊された街並みを観て、真っ先に思ったのは、被爆直後のヒロシマの焼け野原との類似だった。しかし間違いなく、そこにはついこの間まで、現在の近代的な街並みがあったはずなのだ。それは直ぐにイメージ出来た。それ故、逆にヒロシマの焼け野原に、その前に存在した街並みを垣間見るきっかけとなった。

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 そこに当たり前にあった生活が突如として理不尽に奪われる……それが戦争である。戦争には勝者も敗者もない。あるのは加害者と被害者だけ。そして気がつかないうちに荷担して、結局被害者にしかならないのが各国の人民だ。戦争とは、実は戦争をしたがる為政者とその国の人民との戦うか否かでせめ合う意味合いで考えるべきなのだ。誰も戦争には行きたくないし、ましてや死にたくなんてない。これは為政者から人民にいたるまで実は共通している。それを「自分が」死にたくないか「みんな」死にたくないか、の考えの違いだけだ。「自分もみんなも」死にたくない、という、人間として当然の感情をもっとみんな声高に叫ばなければならない。数年後に心から後悔しなくてもすむように……先の大戦下での当時の日本人民のように成らないためにも……

 ナガサキヒロシマの記憶をたどる、この8月初旬の日々こそ、そんなことに思いを馳せる絶好の機会だと思う。