神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「ゴラク」という“糖衣”に包んだメッセージ

 今日、思いがけず(こんなこと多いなぁ(;^_^A)、BSで「最後の講義『大林宣彦』」なる番組を観た。この番組の存在自体は知っていたが、たまたまその時は何度目かの再放送。こういう形で大林監督の講演を聴くのは、癌発症前の2016年8月に、全国高校総合文化祭広島大会放送部部門での講演会以来だったが、その時高校生たちに話していた内容以上に、映画について、そして平和について深く言及していて、観ているうちにぐいぐい引き込まれていった。

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 かつて『HOUSE』を観た時には「とんでもない映画を撮る人」と思い、それから広島出身と知り、尾道三部作ですっかり“信者”と化して封切作品を“追っかけ”した時期もあったが、やがてその作風が鼻につき始めて一旦“距離をおいた”りもした。それが近年、「戦争と平和」に言及する機会が増えていることで、再び注目している映画監督である。

 氏はこの公演でしきりに「フィロソフィー(哲学)を持て」と、講演を聴講する未来の映画作家たちに語りかける。また「フィロソフィー」の表現手段として「ジャンル」があるのだから、「ジャンル」ありきになってはダメ、それによって「フィロソフィー」がねじ曲げられてしまうから、とも説く。戦後になってからの、「映画に楽しければいい」という風潮にも苦言を呈していた。また「ゆるキャラ」になってはいけないとも……“ゆるキャラ”とは、国民が“ゆるキャラ”の様に物言わずのほほんとさせるための、為政者の巧妙の手段であり、むしろ君たちは物事をしっかり考える“濃いキャラ”にこそなってほしい、というのが氏の願いだそうだ。

 “ヒロインアクションムービー”というジャンルや「ゴラク」に拘って映画を撮る身としては耳の痛い話ではあったが、私にも映画に対して「フィロソフィー」がないわけではなく、娯楽性の中にも、かつて東映プログラムピクチャーを支えた“猛者”監督群に倣って「メッセージ」「批判精神」をそこはかとなく織り交ぜていたので、大林監督の言葉には、実は大いに共感した。

 映画が思想・政治の「プロバガンタ」化することは避けなければならないが、今「平和」や「戦争反対」という人間にとって当たり前の希求が叫びにくくなってきた、氏の言うところの「もはや戦後ではなく、「戦前」といっていい」今の日本だからこそ、映画を通じてメッセージを、それも「ゴラク」という“糖衣”に包んで、発信していかなければならない時代になってしまったのかも知れない。戦争を直接的に描いてしまうより(それをしてしまうとどうしても勇ましさ・格好良さが伴ってしまうというのが氏の危惧)、その方がよっぽど観客にメッセージを“消化”してもらえるかも知れない。

 最新作『花筐/HANAGATAMI』の撮影中に余命幾ばくもないといわれた癌すら克服した大林監督には、もっともっと無理なく活躍してほしい。右傾化する日本の下、リベラル良識派が次々鬼籍に入って行く中、氏にはどん欲に映画を撮って撮って、講演で語って語って、「平和ボケ」した日本人に、平和の尊さを伝え続けてほしい!