TPG
思い起こすのは、30有余年前だったか、北野武が「TPG」(たけしプロレス軍団)を結成し、新日本プロレスに殴り込みをかけたこと。薄れ欠けた記憶の奥には、テレビ中継時に、たけし軍団のダンカンとガダルカナルタカがやけに神妙な“お笑い芸人らしからぬ”硬い表情でリングに上がり、挑戦状を手渡した場面を観た記憶がある。
ただその時は、かの両国国技館の“事件”より少し前(12月4日)の出来事だったらしく、実際には同月27日の両国で、彼らの刺客であるビッグバン・ベイダーは国内デビューを果たしたようだ。この日の興業は歴史に残る茶番劇としてとみに有名だが、今、ミスター高橋氏らの告発によって大分明るみに出た“ケーファイ”がわかっていたら、こんな暴動にはならなかった話でもある。まあ“仕掛け”にしてもかなりお粗末だったと言わざるを得ない。ちなみに、その試合、実は観た記憶があまりないんだよなぁ……
ただその時は、かの両国国技館の“事件”より少し前(12月4日)の出来事だったらしく、実際には同月27日の両国で、彼らの刺客であるビッグバン・ベイダーは国内デビューを果たしたようだ。この日の興業は歴史に残る茶番劇としてとみに有名だが、今、ミスター高橋氏らの告発によって大分明るみに出た“ケーファイ”がわかっていたら、こんな暴動にはならなかった話でもある。まあ“仕掛け”にしてもかなりお粗末だったと言わざるを得ない。ちなみに、その試合、実は観た記憶があまりないんだよなぁ……
そんなわけで、ベイダーといえば、どうしても初期の甲冑コスチュームと「TPG」のことばかり思い浮かべてしまうんだけれど、その“出自”を考えると、それからずっとプロレス界の第一線で活躍し続けたことは特筆にあたいするだろう。いくらアメフトで鍛えたからといって、あの関取のような巨漢で、しかも激しいプロレスリングを“演じて”これたのは素晴らしいの一語に尽きるが、反面、不安もあった。そこに来て今回の訃報……大分無理をしていたのだろうと、思うと胸が痛む。
彼もまた、偉大な“昭和”の象徴でした……合掌
プロレスラーのビッグバン・ベイダーさん死去
新日本プロレスと全日本プロレスで活躍し、IWGPヘビー級王座、3冠ヘビー級王座両方を外国人として唯一、獲得した米国人レスラーのビッグバン・ベイダーさん(本名・レオン・ホワイト)が、18日午後7時28分(現地時間)、米国で亡くなった。ベイダーさんの公式ツイッターが発表した。63歳だった。公式ツイッターによると、ベイダーさんは1カ月前に重症の肺炎にかかり、懸命に闘病を続け、一時は回復に向かったものの、亡くなったという。
ベイダーさんはコロラド大でアメリカンフットボールの選手として活躍し、卒業後の1978年(昭53)にNFLロサンゼルス・ラムズに入団も、ケガで引退を余儀なくされた。その後、バーン・ガニアにスカウトされて、85年に米AWAでプロレスデビュー。その後、マサ斉藤にスカウトされ、87年12月にビックバン・ベイダーの名で新日本プロレスのマットに上がり、アントニオ猪木らと名勝負を繰り広げ、89年に第4代IWGPヘビー級王座を獲得した。
11年3月には息子のジェシーさんとタッグを組み、東京・両国国技館で行われた奉納プロレスに参戦し、橋本真也さん(享年40)の長男、橋本大地・大谷晋二郎組と対戦。大地にビッグバン・クラッシュ(ダイビング・ボディープレス)を浴びせて勝利した。