神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「人生体験」が織りなす映画制作の世界観

 携帯電話の功罪が叫ばれ、若年層の携帯電話所持が問題視されていた時代から幾星霜……今や携帯電話どころか、スマホは現代人にとって必須のアイテムとなってしまった。故に映画界においてもごく自然に、そして当たり前のように登場する。また、こちらの方は時代の移り変わりと共に、むしろ規制を余儀なくされている煙草ではあるが、かつて昭和の時代には映画の中でごく当たり前のように登場し、子供番組を含めこれでもか、というくらい喫煙シーンは登場し、これまた“昭和”を色濃く感じさせるノスタルジックなアイテムとなっている。

 さて、こんな話題を敢えて持ち出したのは、私個人が、スマホはおろか携帯電話自体所持したことがなく、且つ煙草を吸う習慣が全くない(というか大の嫌煙家!)であるからだ。でもそんな私でも映画を撮る過程で、どうしてもスマホや煙草のシーンを撮らなくてはならないことがある。そんな訳で今までも上記のシーン・カットを、近年撮り続けている「広島発ヒロインアクションムービー」においても登場させてはいるが、どれも自然さがない。スマホにしても煙草にしても、わざわざ理由を付けて「いかにも」という、ぎこちない描写になってしまう。

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『特命探偵☆葛城アキ~郷土の怒りをぶちまけろ~』(2013)より

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『学園特捜☆伍代聖羅~戦士の休息~』(2016)より


 そこで最近文献で触れて共感したのが、親愛なる若松孝二監督が後輩(弟子?)に向けて言った教訓「自分の知らない(体験していない)ものは撮るな」との教え。確かに私にとっての「スマホ」「煙草」のように、知らないものを知ったかぶりして撮っても、ぎこちないことにしかならない。勿論、映画自体が荒唐無稽なドラマであり、私はヒロインにも、悪人が暗躍しそして退治される場面に実際出くわしたわけではないまま、ヒロインが悪党を成敗する映画を撮ってきたわけだから、全て体験に起因した映画しかダメだ、という考えは容易に受け入れられない。しかしながら、細かい描写に関しては、知らない世界を敢えて撮らないか、逆にもっと実際に関わり、体験し、もしくはしっかりリサーチして臨む必要があるのかな、って今更ながら思う。

 そういえば、「広島発ヒロインアクションムービー」を始める前に撮った『AGAPE』という作品では、主人公を私と同じ雄「携帯不携帯」な男性に設定し、大まかなストーリー・運命はともかく、職業を含めかなり“自分の代弁者”の様に描いたことがあった。また『天使諜報★神宮寺真琴~シンデレラの懸賞金~』では、携帯電話(当時はガラケー)への依存と過信を皮肉ったストーリー展開も挿入した。まさに若松監督言うところの「自分の知らないものは撮るな」の裏返しの発想である。

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『AGAPE』(2006)より

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『天使諜報★神宮寺真琴~シンデレラの懸賞金~』(2010)より

 ただ、この手法ではいずれ行き詰まりを起こしてしまいかねないので、今までの人生体験の積み重ねに過信することなく、場合によっては取材もし、もっともっと視野を広げた映画作りを心がけるしかないだろう。かつて若かりし頃に撮った8ミリ時代の作品よりも、今の方が内容的にも進歩していると思うのは、きっとそんな「人生体験」のなせる業と思うから(;^_^A、