神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

懐かしき我が青春期と『妖星ゴラス』

 映画の中には、初見から時間の経過と共に自分の中での価値観がめまぐるしく変化していくものがある。特に往年の特撮映画、B級アクション、及び上映形態などにその傾向が顕著なんだけど、とりわけ先日「東宝特撮王国」(by日本映画専門チャンネル)で放映された『妖星ゴラス』など、その最たる作品だ(;^_^A

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 日本特撮映画界において、地球と他の天体との衝突危機を描いた作品は、知りうる限り本作と、ブラックホールが地球に迫る『さよならジュピター』ぐらいしか思いつかない。いずれもその天体を破壊するという手段は叶わず、後者では木星ブラックホールにぶつけて軌道をずらし、前者の『妖星ゴラス』では、地球自体が軌道を移動して「ゴラス」との衝突を避ける、という手段を講じる。ハリウッドでは、“相手”破壊する設定の作品が『メテオ』や『アルマゲドン』『ディープインパクト』等々数多くあり、そこら辺に自然に対する日本と欧米との思想の違いが色濃く反映されているのかも知れない。

 さて今回の『妖星ゴラス』なんだけど、初見(というかこの作品の存在を解説などで知った時)では、このインパクト十分の設定にワクワクしたものだが、やがて分別も知識もついてくると「オゾンに守られた大気のある地球表面でいくらジェット噴射したって、地球が動くはずないじゃん。よしんば動いたとしても南極のオゾン層が完全に破壊されて、そっちの方で人類が滅ぶんじゃないの?」なんて思うようになってまともに楽しめなくなり、それが昨今、細かいことはゴチャゴチャ考えず、想像世界の映画の外連味として楽しめばいいじゃないって逆に思えるようになった。リアリズムを追求して観たって始まらない映画もあるもんだと割り切って観ようってね(;^_^A

 そう思うと、ゴラス発見から退避までの2年半の“大河ドラマ”が90分足らずの尺に凝縮されて、宇宙ロケット・隼号の悲劇から、史上最大の世界的公共事業の南極ジェットパイプ建設という「プロジェクトX」もかくや、のごとき壮大な特撮絵巻の妙、更に本多監督は猛反対したらしいが、怪獣マグマ(巨大化したセイウチなのに“爬虫類扱い”で名も「マグマ」)の登場と大暴れという過剰サービルも相まって、一級のスペクタクル巨編に仕上がっている。そして土星の輪や月さえもゴラスに吸い込まれる、科学的考証度外視の視覚に訴える映像や、ゴラス接近による天変地異の描写などを交えたクライマックスの緊張感は、この話がいくら荒唐無稽の絵空事だとわかっていても、思わず手に汗握ってしまう。それはどう観ても合成された画面に釣られた模型だとわかっていても、思わず興奮してしまう『宇宙大戦争』のナタールUFOと地球軍宇宙ロケットのドッグファイトが展開するクライマックスと同様の映像体験だ。それだけ往年の特撮映画には外連味たっぷりの夢がいっぱい散りばめられていたのだと思う。だから今観ても……否、清濁合わせて受け入れられるようになった今だからこそ、十二分に楽しめる作品なのだ(;^_^A

 ちなみに、今回の観賞で、1962年公開ながら、隼号が打ち上げられたのが1979年の9月、そしてゴラスが地球に再接近するのが1982年2月という設定に初めて気付き、あくまで個人的なことながら、この時代設定がやけに生々しく感じられた。それというのも、この期間って、丁度私が高校生活を送っていた時期と見事に重なるからだ(;^_^A  これでいくと、高校に入学して吹奏楽部に入り、その“初仕事”になったスタンドでの野球部の応援を終えて新学期を迎えた時にゴラスが発見され、その年度の春と翌年度の夏に野球部に甲子園に連れて行ってもらえた頃に南極でジェットパイプの建設が急ピッチで進められ、大学受験の勉強をそれなりに始めていた頃に地球は移動を開始、そして進路が決まって暢気に過ごしていた頃に実はゴラスが再接近していたんだなあ、なんて空想(妄想?)してしまったよヾ(--;)  それにしても、その頃ってかなり特撮映画・ドラマに傾倒していたのに、なんで『妖星ゴラス』の世界観が今(当時)と同時進行って気付かなかったのかなぁ……(;^_^A