神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『ドゴラ』『Gメン』『ジェラシーゲーム』

 もうかれこれ30数年前の話だが、学生になった年、高校時代の親友と一緒に初めて「にっかつ」の映画館に足を運んだことがある。その年だったか、広島の中心街に「広島にっかつ」がオープンした時で、当時は"広島で一番新しい映画館"との触れ込みだったと記憶している。やがて「にっかつロマンポルノ」が終焉を迎えてからは、主にB級の2番館となって、後にここでは『バトルヒーター』『その男、凶暴につき』『悪魔の毒々モンスター東京を征く』(そしてかのトンデモ映画『ラッフルズホテル』もラストのみ)観賞したモノだった(そしていつの間にか消滅した)。

 さて、回りくどい話は追いといて(;^_^A 、ここへ来たのは、前述の「にっかつロマンポルノ」を初めて観るためだった。一応高校は卒業して久しかったが、まあ、「通過儀礼」のような気持ちだったんだと思う。で、その時上映していたのが『軽井沢夫人』と『ジェラシーゲーム』の2本立てだったんだけど、そのキャストを見てぶったまげた、というか"スケベ心"が遙か彼方へ吹っ飛んでしまった!(ちなみに行くまでどんなタイトルの作品が上映されているかも知らず……(;^_^A)

 『軽井沢夫人』からして、主演の高田美和は往年の大映の特撮巨編『大魔神』におけるヒロインの姫君を演じていたし、彼女に絡む若者・が『太陽戦隊サンバルカン』の2代目パルイーグル・飛羽高之こと五代高之、しかもご丁寧なことに東宝SF特撮に欠かせない重鎮・土屋嘉男まで出演していた(同様に『獣人雪男』の根岸明美や。五代と同じく『サンバルカン』の嵐山美佐こと根本由美も)。さらに『ジェラシーゲーム』に至っては、主人公がこれまた東宝怪獣特撮映画での主演を誇る夏木陽介と、"スカイライラー"筑波洋こと村上弘明が登場とあっては、破と「これじゃ成人映画というよりも特撮映画の世界じゃないか?」ってあっけにとられてしまったよ(;^_^A ついでにどことなくやましい気持ちになってしまったし……ヾ(--;)

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 夏木陽介氏といえば、恥ずかしながらこの出来事がまず思い起こされる。もともと氏を初めて拝見したのはテレビドラマ『Gメン75』の「小田切警視」から。だから渋くて口髭生やしてクールってのが、氏のイメージだった(その点『ジェラシーゲーム』の駿河新一の方が私の思う氏イメージに近かった)。だから、『三大怪獣地球最大の決戦』『宇宙大怪獣ドゴラ』で、共に主演の熱血刑事を務める細身で短髪姿の氏をポスターで拝見したときには、いくら若かりし頃の写真とはいえ、とても同一人物とは思えなかったことを記憶している。もっとも実際に作品を観てからは、その疑念は払拭されたが、変貌ぶりには驚かされたモノだった。

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『宇宙大怪獣ドゴラ』での雄姿。後方には“オリジナル神宮司真琴”こと藤山陽子嬢が!

 私のように、きっと氏のイメージは世代によって大きく異なると思うが、それは逆に、氏はがずっと第一線で活躍していたからに他ならない。「Gメン」世代の私は、東宝特撮が好きだったことが幸いして、複数の時代で活躍する氏の雄姿を演技を、興味深く観賞していくことが出来た。ましてや「大人の階段」まで一緒に登ってもらえたし……今回多くの記事で氏の代表作としてテレビドラマの『青春とはなんだ』や黒澤明の『用心棒』が挙げられているけど、私にとっては上記の『宇宙大怪獣ドゴラ』、『Gメン75』、そして『ジェラシーゲーム』の印象が今も強い。

 それにしても、円谷英二本多猪四郎両巨匠の現場を知る貴重な人物が、また天に召されてしまったよ。平成すら消えようとしている昨今、また昭和の逸材との悲しい別れをしようとは………合掌

 「青春とはなんだ」など1960年代の青春学園ドラマの先駆け的作品に主演し「Gメン’75」などダンディーな二枚目俳優としても活躍した夏木陽介(なつき・ようすけ、本名・阿久沢有=あくさわ・たもつ)さんが14日に腎細胞がんのため都内の病院で死去した。19日未明、夏木さんのブログで発表された。81歳。東京都八王子市出身。ラリードライバーとしても知られた。

 昨年8月9日までブログで近況を報告していた夏木さんだが、その後は更新がなくファンを心配させていた。関係者によれば、今月14日に息を引き取ったという。

 2009年に軽い脳梗塞を起こし、翌10年3月には左腎臓にがんが見つかって摘出手術を受けるなど、この10年ほどは病気との付き合いが続いた。

 それでも一昨年には東宝のOBたちが集う会に元気な姿を見せ「自分の生まれた年(36年)に製造されたクラシックカーで北京―パリ間を走るレースに参加したい」と話すなど、穏やかな日々を送っていた。

 事務所関係者によれば、昨年11月に肺炎で入院。回復して退院したが、翌12月に再び体調を崩して再入院。今年に入って一進一退を続け、14日に親族にみとられて亡くなった。

 夏木さんは58年に東宝に入社し、黒澤明監督の「用心棒」などに出演。映画界の斜陽化が進むと、テレビに重心を移し、65年にドラマ「青春とはなんだ」に教師役で主演。これが好評で、翌66年には映画「これが青春だ!」にも波及。一連の作品は学園ドラマの先駆けとなり、夏木さん自身もスターの階段を駆け上がった。その後、「用心棒」で共演した三船敏郎さんに請われて三船プロに入り、TBS「Gメン’75」(75~79年)などドラマを中心に活躍した。

 事務所スタッフは「三船敏郎さんを尊敬しており、“用心棒”で共演できたことを誇らしく思っていました」としみじみ。俳優仲間で12年に亡くなった佐藤允さん(享年78)の追悼本を出版しようと佐藤さんの息子と相談していたところだったという。

 82年に個人事務所「夏木プロダクション」を設立し、賀来千香子(56)ら後進の育成にも力を注いだが、14年に高齢を理由に事務所を解散。15年に「オフィス夏木」を設立して仕事を続けていた。生涯独身を通した。葬儀は近親者のみの密葬で執り行うという。

 ◆夏木 陽介(なつき・ようすけ)1936年(昭11)2月27日生まれ、東京都八王子市出身。明治大学在学中にモデルにスカウトされ、58年の卒業後に東宝に入社。同年、映画「美女と液体人間」でデビューし、石原慎太郎氏が監督した「若い獣」や黒澤明監督「用心棒」など話題作に続々と出演。ドラマ「青春とはなんだ」「荒野の用心棒」「Gメン’75」などでも活躍した。近年はテレビ朝日スシ王子!」や、フジテレビのバラエティーアウト×デラックス」に出演し話題になった。