神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『竜二』から始まった

 『竜二』という映画には公開当時からファンが実に多い。それも特段ヤクザ映画が好きなわけでもないのに、この映画だけは、という話をよく聞く。それではこの映画のどこにそんな特別な魅力があるのか? ずっと以前にそんなファンから持っているビデオを垣間見させてもらったけど、主人公・竜二役の金子正次がやたら暴力的で痛々しくて観るに堪えず、途中で断念してしまった思い出がある。そうはいっても、公開から早や35年か経過した今年、CATVで放映されたのを思い切って観賞した。

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 この映画、別に血みどろの抗争が描かれるわけではない。しかし、しかし生々しいというか、金子正次の演技がリアルに凶暴で、マジで暴れ回っているように見えたのが、この映画に目を背ける原因になっていたようだが、それでもじっと見続けていると、実は彼がヤクザから足を洗うという、思いがけない展開になっていった(実は今回この展開を初めて知った)。
 
 元々堅気だった妻子と離別する羽目になった竜二が、それまでおぼろげながら抱いていた不安も手伝って、遂にヤクザを辞めて実家に妻子を迎えに行き、堅気としてやり直そうと決意、しばらくはつかの間の平安を手に入れるが、やがて堅気の世界に順応できず……って展開で、正直昨今のヤクザ映画でありがちなドラマに思えた。もっとも、そんな凡百の“ポスト実録”“Vシネマ時代”ヤクザ映画のプロトタイプが、この『竜二』だったんだろうと思う。そう考えると、やはり『竜二』は画期的な映画だったといっていい。それで人気があるんだろうな。

 しかも、脚本・主演の金子正次の劇的な死によって、この映画は更に"神格化"されていった。あたかも『燃えよドラゴン』のように。だから、虚勢を張るように瞬発的に暴れ回る彼の姿が逆に痛々しく、それが別の意味で"観るに堪えない"雰囲気を醸し出していたのかもしれない。なんだか映画全編に彼の命が迸っているように。

 映画人として、俳優として、自分の人生の最期に、自分の"ホン"で自分が主演して、自分の実の娘と共演(竜二の娘役)出来て、一本の劇場映画を世に送り出す。しかも自身が憧れた東映の「三角マーク」まで冒頭に冠することも叶い……人間には必ず「死」が等しく訪れることを考えたら、これだけの映画を撮り上げ、、しかも封切り初日の劇場で観客の雰囲気を肌で感じた上での絶命、というのは、ある種羨ましいまでの「人生の最期」だったと思えるな。 

 ちなみに、ラスト近く、竜二に堅気としての生活を決別させる不用意な発言をして、竜二から凄惨な制裁を受ける酒屋店員役で、また黒髪がフサフサだった笹野高史が出演していたのは、実に興味深かった(;^_^A もし金子正次が存命だったら今どんな姿だったんだろうか……