神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「風」と「花嫁」と「嫁ぐ日」と……

 ザ・フォーク・クルセイダーズ(と敢えて書く)の『帰ってきたヨッパライ』は当時大ヒットして、まだ年端もいかない子供だった私でも、裏声で「オラは死んじまっただぁ~♪」って歌うくらい巷を席巻した。「悲しくてやりきれない」の方は、その後物心つくうんと大きくなってから聴いたが、あの切ない歌声と歌詞とが胸にズンと響いて、心寂しくなったとき、何故か求めてしまう歌だった。ようやく解禁になった「イムジン河」も好きだ。

 そんな“フォークル”の中でも一番若く、且つ明るく一番元気はつらつしていたイメージだったはしだのりひこ氏も、自害した加藤和彦氏はともかく、まだ若いのに訃報を見ることになるとは、夢にも思わなかったよ。

 ところで、はしだ氏といえば、どちらかといえば「はしだのりひことシューベルツ」の「風」や、「はしだのりひことクライマックス」の「花嫁」の方がより印象深い。「風」の方は、何かいつの間に口ずさんでいた、っていう感じで、もしかしたら音楽の授業で習ったのかも知れないけれど、なんとも儚い雰囲気が好きだった。一方の「花嫁」の方は実にエネルギッシュな曲で、ほぼ同時期にリリースされた小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」と同じテーマなんだけど、ある種「駆け落ち」を匂わせる歌詞で、それでいてパワフルな藤沢エミの歌唱力がそれを覆い包んで余りある名曲だった。私事ながが、自分の中では、高校時代既にこの曲が“懐かしの名曲”になっていて、たまにラジオで流れたりすると、ふと胸がキュンとなってしまったものだった。今回改めて聴いてみても、その心持ちは当時と変わっていない。

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 ヒット曲を出しては潔くグループを解散し、また再結成してヒット曲を打ち出していく(他にも、後に中国放送(RCC)の「サテライトNO1」でパーソナリティーを務めた林竹洋子がボーカルを務めてスマッシュヒットした「はしだのりひことエンドレス」の「嫁ぐ日」もあった。)彼の手法は、まさに「天才」という称号にふさわしい活躍だったと思う。

 確か「帰ってきたヨッパライ」では、天国に行ったヨッパライの「オラ」は、そこで神に「もっと修行してこい!」と現世に追い返されるオチだったと思うが、はしだ氏も、先に逝った加藤氏も、2人揃って唄の歌詞に倣って、また現世に追い返されてくれないかな………合掌


 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで、フォーク歌手のはしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日午前1時16分、死去した。

  72歳だった。告別式は6日正午、京都市伏見区深草下横縄町25セレマ稲荷シティホール。喪主は長男、篤人(あつひと)氏。

  京都市出身。きたやまおさむさんや加藤和彦さんが1965年に結成し、「帰って来たヨッパライ」などをヒットさせた「ザ・フォーク・クルセダーズ」に参加し、「関西フォーク」ブームの先駆けとなった。解散後、別のグループで活動。ヒット曲に「風」「花嫁」などがある。

  パーキンソン病を患い、闘病生活を続けていた。今年4月に京都市内で開かれた、きたやまさんらのコンサートに車椅子で出演していた。