ヒーローの条件
去る6日のブログで、女性の役さえも全て男優が演じるという邦画黎明期の不文律と、一世を風靡した「女剣劇」というジャンルでは専ら女優が渡世人や股旅といった男役を演じて人気を博したという、二律背反する歴史を紹介した。だがここで一番の注目点は、「ヒロインのままでは決してヒーローになれない」という、まさにヒロインアクションのパラドックスである。
これによるとアクション映画の世界において、ヒーローはあくまで男であって、ヒロインはヒーローに追随する立場でしか存在し得ない。だから女性がヒーローを惑わす毒婦。物の怪もしくは、「女剣劇」の如く男装するしか、アクションの世界に身を委ねることが出来なかったらしい。しかも「毒婦」は女独特の色香を漂わせてヒーローたちを幻惑し、一方の「男装の麗人」はより「男」という立ち位置を強調するため設定上“処女”の設定がつきまとうなど、その精神は徹底している。これに前出のヒーローに追随し逆に庇護を受ける受動的な「お姫様」の3つの立場でしか、ヒーローのアクションに関われなかった、というのである。
この現象は、「毒婦」においては「ピンキーヴァイオレンス」の池玲子や杉本美樹に代表される情に熱いが自由奔放な「ズベ公」や、憐れな犠牲者がその犠牲の果てに超人的な力を身につけて加害者に復讐するという「化け猫」映画の主人公(この流れは「女囚さそり」で止めを刺す!)などで新たな系列が誕生したり、女の色香を醸し出しながらも「自分は女を捨てた」と言い張る『緋牡丹博徒』のお竜姐さんや、一切の色香を徹底的に排除して“清純派”を貫いた“女必殺拳”の志穂美悦子に代表される「男装の麗人(処女)」の分野でその部分が強調されたりするものの、現在においてもなお連綿と女性活劇の根底に流れ続けているようである。
ウチの「広島発ヒロインアクションムービー」の主人公たちに上記のルールを当てはめてみたらどうなるか………? おそらく“お竜姐さん”や“志穂美の悦っちゃん”系列の「男装の麗人」が一番近いだろうな(;^_^A 実際に男勝りの口上言ったり、男性の好奇の目にさらされても全く自覚がなかったり……(;^_^A でも一応、ヒロインの歴史的系譜の流れに則ったキャラクター設定になっていたようなんで、まずは一安心かな(;^_^A
ちなみに深作欣二監督の“遺作”『バトルロヤイヤル』はその後の邦画ヒロインアクションに一石を投じた作品なのだが、その劇中の強烈なキャラのヒロイン、前田亜紀、柴崎コウ、栗山千明の3人が、それぞれ「お姫様」「毒婦」「男装の麗人」を、往年のルールに則ってしっかり演じていたのだそうだ。だからいつになってもこのルールは連綿と続くんだろうな(;^_^A