「盲亀浮木」の“呪縛”
「盲亀浮木」という故事がある。これは百年に一度だけ海面に出てくる盲目の亀が、その時たまたま水上に浮いていた流木の、それも小さい穴に、たまたま首を突っ込んでしまう、というたとえ話だ。確か藤子・F・不二雄の短編集か何かで読んだ話だが、それ以来、本来の「めったにない幸運に巡り会う」という意味とは知らず、ずっと“偶然が起こす途方もない不幸”という意味で捉え続けていた。めったにないタイミングに決まって上手くいかない事態が襲う、という意味で。
それでいつも自分の中の「例」として浮かんでいたのは、母校の夏の甲子園に関する“悲劇”だった。母校の野球部は(と書くが私は元“吹奏楽”部員(;^_^A)、春のセンバツは3度の全国優勝に恵まれているものの、殊“夏の甲子園”に関しては、1927年、1967年、そして先の2007年と、判で押したように40年周期で決勝の舞台に立ち、そして必ず敗れて準優勝に甘んじていた。とりわけ近々の2007年が、8回の表まで4-0でリードしていただけに、一番優勝に手が届きそうだったが、野村(現広島)-小林(現讀賣)のバッテリーがその裏にまさかの押し出し&逆転満塁ホームランを喰らって、OBにとっては“トラウマ必至”の悪夢的結末を迎えてしまった。
この「40年周期の決勝進出」「それで負けて毎度準優勝」と、まさに“トリビア”クラスの黒歴史が母校の呪縛のように感じられて、「ああこれから40年後なんて、もう生きてみることもないなぁ……」なんて悲観に暮れたものだった。そのため「40年に一度海面に浮かぶ(決勝まで勝ち進む)盲目の亀(母校)が、毎度木の穴に首が嵌ってしまう(敗北で準優勝)」というイメージで、この「盲亀浮木」が“負の故事”になってしまっていた。
その悪しきジンクスの一つが、昨日遂に破られた。かの2007年以来「10年ぶり」の決勝進出である! 残り30年待たずして、決勝の檜舞台に駆け上ってくれた。しかもとてつもないヒーローまで生み出して………
日付が変わって、今日はその決勝の日、対戦相手の「花咲徳栄」は、その名前の「花咲」に二人の娘の名の漢字が上手く並んでいて、相手が違えば応援してしまいそうな学校ではあるが、さすがに今日だけはそう言うわけにも行くまい。思えばこの3度の決勝敗北では、1926年の高松商業は歴戦の強豪校だったが、その後の2高は前評判は決して高くない初優勝の学校で、3校共通して“公立高校”だった。しかし今回の対戦相手は私学高。逆に春の選抜では過去3回の優勝時の対戦相手は「松商学園」「松商学園」(奇跡の数十年ぶり同一決勝カード!)「横浜」と、どれも私学の強豪校。いずれにしても本日の試合はタフな展開になりそうだが、そんな都合のいい過去の記録を並べ立ててでも、何とか「生きているウチに」是非“紫紺”ではない“真紅の優勝旗”を広島に安佐南区に沼田の地に持ち帰ってほしい、そう切に願うよ(;^_^A
伝統校対決。甲子園での両校の対戦は80年夏の準々決勝(天理4-2)以来2度目だった。
先手は広陵。主砲の特大の1発で先制した。1回表、3番中村がセンターバックスクリーンに2ランを放つ。85年清原(PL学園)が記録した大会個人最多本塁打に並ぶ5号本塁打。また1に迫っていた大会通算最多塁打の新記録(31塁打)を樹立した。
粘る天理は9回、無死から5連打などで猛反撃したが届かなかった。
天理は全国制覇を果たした90年以来3度目の決勝進出はならなかった。