神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

『怪獣映画』はなぜ日本で量産されたのか?

 「72」って数字には、何かと思い入れがある。去る42年前の初優勝以来、広島東洋カープの黄金期に監督を務めた古葉竹識氏お背番号が「72」だったし、その初優勝時の勝利数も奇しくも「72」勝だったことがその要因だったりする。そして今年、別の意味で「72」を迎えた。広島に原爆が投下されてから、長崎に原爆が投下されてから、そして日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏の敗戦を迎えた日から、今年で72周年を迎えたわけである。

 日本でなぜ、ここまで「怪獣映画」がもてはやされたのか……それには勿論円谷英二氏指揮による高度な特撮技術があったことは言うまでもないが、ある識者によると、これは日本で「戦争映画」が撮れない観られない鬱憤のはけ口が「怪獣映画」だったのだそうである。ここでいう「戦争映画」とは「反戦映画」のことではない。それこそハリウッドの撮るような「戦争に勝利して万歳」な「戦勝映画」のことである。戦後GHQからの指導によって、「戦勝映画」どころかチャンバラまで厳しく規制されたことが背景にあろうが、チャンバラ渇望のはけ口が「刀を使わなければよかろう」と『銭形平次』になったり、時代劇の大御所・片岡知恵蔵が2丁拳銃で現代劇を演じる『多羅尾伴内』になったりしたように、日本人が「武器」を使って「戦って」紆余曲折の後辛うじて「平和」を掴むことの出来る「怪獣映画」が「戦勝映画」渇望のはけ口になった、という説は、大いに納得できる。


 戦後(これを「敗戦後」ではなく「終戦後」と飛ぶことに、未だ日本人の「敗戦を受け入れられない」精神が見え隠れするが……)、先の大戦の悲惨さを伝える「戦争映画」は数多作られ、少しでも「戦勝」「戦前礼賛」な臭いのする映画・ドラマが作られようものならば、途端に激しいバッシングを受けることになる。その中には、戦時中多くの将兵の命を救った人員撤収作戦でる『太平洋奇跡の作戦キスカ』でさえ「日本軍が勝利する(敗北しない?)映画などけしからん」とTV放映時にクレームがついたほどだから。だから、映画という自由度の高い世界にあれこれ「反戦」の規制をかける風潮には、正直辟易していた。「もう戦後何十年も経ったのに、未だ敗戦の呪縛に縛られるのか?」って……もうそんなに規制しなくても、今更先の戦争を礼賛するような輩はいないって、そう思っていた。

 しかし、戦後72年を迎え、そんな私の考えは間違っていたことに気づいた。やはりこの「反戦」「厭戦」の思想は、常に声高に叫び続けなければ、常に過去の歴史を“都合よく忘れた”為政者・愚者たちによって、再び暗い時代にいとも簡単に逆戻りしてしまうのだ。ここ数年の国内外の状況を見ると、既に危機的状態にある。

 かのロジャーコーマン氏は、映画人はリベラルたれ、との意識を持っていたし、鈴木則文監督もB級ゴラクの中に必ず権力批判を込めていた。その精神を決して忘れず、映画人は映画を撮ってほしいし、表現者はあらゆる場で表現活動を続けてほしいと思う。

 「軍隊キャバレー」なんてネタさえ、もはや洒落ではすまない時代が刻一刻と迫っているから……

 72回目の「敗戦記念日」に寄せて………