神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「ピンクのサウスボー」「水原勇気」のルーツ

 昭和の歌謡界を席巻したスーパーデュオ「ピンクレディー」。彼女らの数多のヒット曲の中に「サウスボー」という歌があって、歌詞の内容は、女性プロ野球投手が、明らかに王貞治を模したバッターに挑んでいく、と言う内容で、魔球の名前は「ハリケーン」。そして振り付けとして彼女らが演じる左投げの投球フォームはアンダースローだった。

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 ほぼ同じ時期、野球漫画の総帥・水島新司氏が長年描いてきた架空球団「東京メッツ」のプロ野球漫画『野球狂の詩』の後半に登場するのが、プロ野球協約を突破して入団する日本初の女性プロ野球選手・水原勇気。彼女の投げる魔球は「ドリームボール」。そして彼女もサウスボーのアンダースロー投手だった。

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 ただし実際のプロ野球界に女性選手が未だ登場していないし、また彼女らのような左腕のアンダースローも殆ど存在しなかった。

 そんなわけで、この“左腕のアンダースロー”の希有な例が、広島→太平洋クラブ(クラウンライター→西武)→横浜大洋福岡ダイエーと、いろんな球団を渡り歩き、貴重なワンポイントリリーフで活躍した永射保氏である。
一時期は、先のピンクレディーの「サウスボー」のモデルであった等の話題も飛び交うこともあり、そう考えると、稀代のプロ野球ヒロイン・水原勇気も永射氏の存在なくして誕生しなかったかも知れない。

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 そんな“野球ヒロイン”の礎を作ったといっても過言でない永射氏の訃報を知り、彼が広島東洋カープの元選手であったことも鑑み、その死をとても残念に思った次第である。惜しむらくはもっとカープで活躍して、あの初優勝の美酒を味わってほしかったなぁって思う。

 もし当時、金城・永射の“左右アンダースロー競演”が見られたら最高だったと思うし………合掌


西武などでプレー永射保氏がんで死去 63歳
https://www.nikkansports.com/baseball/news/1845408.html

 プロ野球西武などで主に救援投手として活躍し、通算606試合に登板した永射保(ながい・たもつ)氏が24日午前、がんのため福岡県久留米市の病院で死去した。63歳。鹿児島県出身。葬儀・告別式は26日正午から福岡県久留米市野中町865、久留米草苑で。喪主は妻累理子(るりこ)さん。
 
 鹿児島・指宿商高から1972年にドラフト3位で広島入り。左腕の変則フォームが持ち味で、西武時代の79~84年は6年連続で40試合以上に登板した。
 
 大洋(現DeNA)でもプレーし、90年にダイエー(現ソフトバンク)で引退した。通算44勝37敗21セーブ。
 
 ソフトバンクによると、球団職員を務めるなどした後、福岡県内で飲食店を営んでいた。