神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

ウルトラの母は太陽のように……

 きっと今宵は、このタイトルでブログを書く人が多いだろうな……

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 昭和40年代後半、日本ではヒーロー特撮ドラマが百花繚乱の如く放映されていた頃、老舗円谷プロの看板番組である「ウルトラシリーズ」の『ウルトラマンA』が終了して、その後番組として登場したのが“ウルトラマンT”こと“ウルトラマンタロウ”だった。まずこの“タロウ”ってネーミングセンスには辟易したし、「ウルトラマン」と銘打ちながら、ヒーローの姿はどう観ても“ウルトラセブン”?! 丁度小学校も高学年に差し掛かった頃だし、『ウルトラマンA』の後半位からあまり観なくなったこともあって、今思うとこの『ウルトラマンタロウ』の印象はほとんどない。その理由には、前出の視聴者を小馬鹿にしたようなヒーローの名前と共に、遂に「ウルトラの母」なる設定が生まれたことも影響している。

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 『A』で「ウルトラの父」が登場したこともあって、「ウルトラの母」が存在しても別に問題ないのだが、それが他のウルトラヒーローと共に巨大化して登場するってのは、結構気恥ずかしかったよな(;^_^A  しかも、能面のようなウルトラマン系のマスクに銀色の全身、そこに女性の証としての豊満な胸とポッチャリした体型ライン、ってのは、あたかも“金粉ショーのダンサー”を彷彿させて、これを“母”と呼ばれても、何とも困ったものだった(;^_^A(そのスーツアクターは「オレンジファイター」よろしく、実は男性だったと言うし……)。でもこの「ウルトラの母」の変身前の姿を、かのペギー葉山が「緑のおばさん」(←この言葉知ってる?)として演じてくれたので、辛うじて“一線を越える”ことなく、飽くまで「ウルトラの“母”」として認識することが出来た……かれこれ40年近く前の話だけど………

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 そう言うわけで、『ウルトラマン80』に登場する“女ウルトラマン”こと「ユリアン」の萩原佐代子に先駆けること7年前に、栄えある“初の女ウルトラマン”の称号を得たのが、かのペギー葉山女史である。彼女は私生活においても、“2代目MAT隊長”役を務めた根上淳の奥方という、公私ともに生粋の“ウルトラ女優”といえる存在だった。しかも歌手としても『南国土佐を後にして』『学生時代』などの数多のヒット曲を世に送り出している。『南国土佐を後にして』は、そのヒットを受けて日活で制作されたマイトガイ小林旭)主演の同名の映画が、後の「渡り鳥シリーズ」の先駆けとなったし、『学生時代』は今聞いてもすぐ脳裏に“セーラー服姿の女学生”が浮かんでくるぐらいの名曲で、それらの方面でも非常に印象深いタレントだった。

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 長く闘病生活を支えてきた、先に天に召された夫・根上淳氏との再会を今頃果たしているだろうか、天国には円谷英二御大も本多猪四郎監督もいるので、落ち着いたらまた夫婦揃って楽しい“来世の特撮ドラマ”で撮ってほしいと切に願う。もうじき観賞に行きますので……合掌


※ちなみに彼女は幼少期、両親が広島出身だったこともあって、広島への疎開を考えたものの、父親の英断で別の田舎に疎開し、危うく原爆の難を逃れたそうである。その“偶然”が「ウルトラの母」を誕生させ「渡り鳥シリーズ」のきっかけとなったことを考えると、何とも運命の不可思議さを感じさせられる。ちなみに彼女も“広島の遺伝子”を継承していたんだなぁ……


歌手のペギー葉山さん死去 83歳 「ドレミの歌」「南国土佐を後にして」

 訳詞した「ドレミの歌」や「学生時代」「南国土佐を後にして」など知られる歌手のペギー葉山(ぺぎー・はやま)さんが12日午前11時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。83歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。後日お別れの会を開くという。

 3月29日に東京・日生劇場で行われた「越路吹雪 三十七回忌特別追悼公演 『越路吹雪に捧ぐ』」に参加。翌30日にはブログで報告し「こーちゃん(越路さん)の思い出の歌が次から次へとゴージャズに歌われ、ファンの皆さまが2階まで満杯!素晴らしいイベントでした」と元気な様子だった。

 1952年「ドミノ/火の接吻」でレコードデビュー。54年、「月光のチャペル」でNHK紅白歌合戦に初出場。59年、NHK高知放送局テレビ放送開始の記念に歌った「南国土佐を後にして」が空前の大ヒットを記録した。64年には「学生時代」がロングセラーとなった。

  ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を劇中歌「ドレミの歌」に日本語詞を付けて歌い、今も歌い継がれている。

 タレントしても活躍し「ひらけ!ポンキッキ」のしつけコーナーや「ウルトラマンタロウ」のウルトラの母の人間体“緑のおばさん”などでお茶の間に親しまれた。66年にはNHK紅白歌合戦で紅組司会を務めた。

 2004年旭日小綬章。女性初となる日本歌手協会7代目会長も務めた。

 65年、俳優の根上淳さん(2005年没、享年82)と結婚。おしどり夫婦として知られた。