神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

“東宝チャンピオンまつり”版『シン・ゴジラ』で勝負を!?

 先のブログでいろいろ書いたけど、実はまだまだ昨日観賞した『シン・ゴジラ』の余韻に浸っていたりする(;^_^A  まあ、昨晩書いた内容は、強いて欠点を探すならば、程度のものだったんで、個々の圧倒的なシーン、中でもクライマックスの“ヤシオリ作戦”の件は、BGMに「怪獣大戦争マーチ」ではなく敢えてそのプロトタイプである「宇宙大戦争マーチ」を流した効果もあって大いに盛り上がった。かの“新幹線爆弾”“在来線爆弾”も決して特攻ではなく(おそらく)無人操縦だろうから、観ていても安心だ。もっとも、ゴジラに薬液を注入するために口まで近づく部隊こそ、文字通り“特攻隊”だったと思う(確かに先遣隊は「全滅」してしまったし……)。個人的には、黒澤明監督の『天国と地獄』をつい特急こだまのシーンの後から観てしまうように、本作も鎌倉上陸のシーン辺りから、何度も何度も観返してしまいそうだ(;^_^A

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 さて、今回の『シン・ゴジラ』の海外興行の苦戦について、別のSNSで面白い意見を戴いた。それは、海外版を往年のゴジラ映画のように短縮して上映すれば状況が変わったのでは、という意見だ。なるほど、と思ったね。

 本作の中でまず海外受けしなさそうなのは首相官邸での内閣会議のシーンであろう。ここら辺では日本の抱える様々なしがらみが出てきて、事情を知らない者にとっては訳も分からず冗長だ。だからこれらのシーンをばっさり切る。勿論主人公矢口や赤坂の素性が分からなくなるほどのカットはまずいかもしれないけど。そして最初のゴジラ攻撃が中断する場面も、内閣のシーンはいらない。踏切を渡る老婆の姿で十分説明できるから。同じノリで、多摩川防衛戦でのシーンも、いちいち総理に「許可する」「許可します」と言わせなくてもいい。そんな武器使用に関する日本の事情を語ったって、戦闘シーンへの高揚感を削ぐだけだ。「許可する」をアフレコで「攻撃開始!」にすれば済むことだ。

 また、石原さとみ演じるカヨコ・アン・パタースンの設定も大幅に変更する。やはりどう見ても東洋人にしか見えない彼女を“クォーター”で将来の大統領候補と言い張るのは、『007は二度死ぬ』で黒鬘・黒眉でメイクを施したショーン・コネリーを日本人と言い張るくらい無理な設定なんで、いっそ台詞を一部アフレコで変えて単なる日系人の米国特使ぐらいにしたほうが説得力があっていい。よってラストの矢口とカヨコのシーンもカット。ゴジラが動かなくなった時点で、「めでたしめでたし」の“大団円”にすればいい。

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 そうやって考えていくと、要は『シン・ゴジラ』を東宝お家芸の“チャンピオンまつり”仕様にすればいい、ってこと。これならばきっと、単なる怪獣映画として、CGを駆使したド迫力画面で世界中の賞賛を得られそうだ(;^_^A  もちろんそうなったら、テーマ性もくそもなくなり、良識派の大いなる反感を買おうが、映画って本来は“興行”、外貨を獲得することが大事なんでねヾ(ーー )

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 もっとも庵野総監督が再編集を認めそうもないから、所詮は「絵に描いた餅」なんだけどね(;^_^A

※話は違うが、今日観た『シン・ゴジラ』制作発表時の映像で、石原さとみオバマ広島訪問を話題にした際、原爆に遭った人を「被災者」と語っていたのには違和感を感じたね。それを言うなら「被曝者」だ。原爆は「自然災害」ではない、人間が意図的に開発し8月6日の朝広島に投下した「爆弾」なんだよ!