神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

外連味たっぷりの“神様”

 もはや生きているうちから“伝説”だった。生きているうちから“神様”だった(実際「神様」役も演じたし)……この度の鈴木清順監督の逝去の報を受け、まず最初に思った感慨だ。

 清順監督の“立ち位置”を考えたとき、ふと悩んでしまう。稀代のプログラムピクチャー監督には違いないのだが、かといって「佐藤純彌」「舛田利雄」といった王道監督とは対極を成すはずだし、かといって「溝口健二」「成瀬巳喜男」のような様式美の監督とも異なる。もちろん「黒澤明」「木下恵介」「小津安二郎」といった“巨匠”のたぐいではないし、「加藤泰」のような職人ともい違う……強いて言うならば、「中川信夫」「石井輝男」「実相寺昭雄」と同系列の“マニア監督”といえるのかもしれない。

 実は清順監督の歴代の作品をそんなに多く観たわけではない。思い起こしても『野獣の青春』『東京流れ者』『殺しの烙印』、そしてTVドラマの「木乃伊の恋」ぐらいか。そしていっぱしの映画マニアを気取って映画を観ていた頃は大いに楽しんだはずのこれらの作品も、最近すっかり“王道”趣味になって以降はあんまり食指が動かなくなってしまった。でもそんな中で『東京流れ者』だけは、未だに大切な一本である。

 とにかく一筋縄ではいかない希有な感性の持ち主だった清順監督が、まだ映画が十分金になる時代に観客に迎合した作品を作れと迫る会社に対し、精一杯外連味たっぷりに“王道パロディー”として撮ったのがこの『東京流れ者』だと思っている。主題歌のヒットによる便乗映画ならば、これでもかとばかりに、渡哲也に劇中しつこく「東京流れ者」を歌わせる。あたかも後の「演歌の花道」のように。また、ハードボイルド・任侠・ラブロマンスといった“王道”のパターンを強引にない交ぜに詰め込むカオスな構成。片眼を銃弾でえぐられた郷鍈治のグロテスクな特殊メイクに、ラスト自らの不義を恥じ自決する組長(北竜二)「の手首から勢いよくほとばしる鮮血などなど過剰なまでのファンサービス。それでいてクライマックスのクラブのシーンでは、アリズムを徹底的に無視した前衛劇のセットのような場所で一大バトルを繰り広げさせるなど、しっかり自我をアピールしているところがたまらない(;^_^A

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 ただこのような演出は、今でこそもてはやされるが、当時の“王道ヒステリー”状態だった邦画界ではとても受け入れられなかったことも何となく理解できる。だから“早く生まれすぎた監督”というイメージがしてならない。そして『ツィゴイネルワイゼン』でカムバックするまでのブランクが何とも惜しい。

 ところで、“ヒロインアクション”に特化した当ブログにとっては、監督が特撮ドラマ『美少女仮面ポワトリン』に前出の「神様」役で出演してくれていたことで“接点”を持つことが出来たのが実に有り難い。「神様」というよりはどちらかと言えば「仙人」の方がしっくりする容姿だったけど、「かの清順監督が不思議少女ドラマに出演?」と、晩年まで“外連味”たっぷりに振る舞ってくれたことは賞賛に値すると思う。

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 天国では何のしがらみもないだろうから、思う存分自由に勝手気ままに、外連味たっぷりの映画を撮り続けてほしい。私もいずれその映画を観賞に行くので…………