神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

忘却の“昭和”へのこだわり

 三池崇史版の『愛と誠』における“昭和”の徹底ぶりは劇中ミュージカル仕立てで流れる“昭和歌謡”にまず集約されている。ここで流れる“昭和歌謡”の数々は、『激しい恋』(これは初代「大賀誠」役の西城秀樹に対するオマージュか?)にしても、『あの素晴らしい愛をもう一度』にしても、『空に太陽があるかぎり』にしても、『夢は夜ひらく』にしても、『狼少年ケンの唄』にしても、『酒と泪と男と女』にしても、『また逢う日まで』にしても、およそミュージカルには似つかない曲ばかりである。それ故、そのシーンは実にコミカル且ついびつだったりするのだが、この選曲は、実は“あの頃”を生きた者にとってかけがえのない無二のセレクトであり、そこにもまた、三池監督の昭和へのこだわりが色濃く感じられる。ミュージカル仕立ては、あくまで若い世代を意識した単なる“おふざけ”だったのだと思う。
 
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 また、劇中、石清水が口にする「眼鏡は顔の一部なんだぞ!」(当時の「東京メガネ」CMソングの歌詞)や、足を洗う決心をしたガム子かつぶやく「あたし、普通の女の子に戻ります!」(ご存じ、キャンデースの引退宣言!)、東京のチンピラたちの言う「いなかっぺ」「花の東京」などのダサい言葉、さらには“和式便所”“革マル派の看板”“トルコ風呂”といったアイテムなど、昭和を生きた者しか理解できない小ネタもふんだんに登場する。ここら辺りは、まるで井口昇版『電人ザボーガー』のようだ。若い世代にはどう写ったか知るよしもないが、ここにも“昭和の香り”が過剰且つ過激に盛り込まれている。
 
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 このような方向性・ノリは、今私が目指し、そして少しずつ実践している映画作りの根幹、「“昭和”へのこだわり」に通ずるところがあって、観ていて非常に嬉しかった
 
 ウチの“広島発ヒロインアクションムービー”シリーズにおける数々の演出(小ネタ)、「なぜヒロインのセーラー服のスカート丈は長いのか」、「なぜ主人公は長い啖呵を切るのか」、「なぜ7変化が敵にバレないのか」、「なぜ神宮寺真琴が服を脱ぎ捨てるとその下に戦闘服があるのか」等々……これは全て『スケバン刑事』『仮面ライダー』『多羅尾伴内キューティハニー?)』『大江戸捜査網アンタッチャブル)』『江戸川乱歩の美女シリーズ』といった、昭和世代(特に男子)が必ずくぐってきた“道”を敢えて再現したいとのこだわりだったりする。
 
 現在鋭意制作中の『電光石火☆八城忍』でも、そんな、こだわりの詰まった映画を目指している。但し今回は、従来の“80年代”を飛び越えて、“70年代”のノリも追求する予定