神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

“トクサツ”とイマジネーションの狭間に

 東宝SF特撮映画『宇宙大戦争』には、尺が長く、合成シーンなどがオリジナルと異なる別バージョン(零号版フィルム)があり、この度“お宝映像”としてCSで放映された。オリジナルは何度も何度も観たことがあるが、さすがに映像を二つ並べて観賞しないと判らないくらいの微細な違いなので、これといった感慨もなく観ることになった(“キンゴジ”のオリジナル版とチャンピオンまつり版くらい違いがあれば一目瞭然だろうが……)。
 
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 さて本作、当然ながら娘たちにとっては初観賞だったのだが、ロケット→人間→味方、円盤→宇宙人(ナタール)→敵、という縮図を説明するとそれなりに理解してくれて、クライマックスのロケットと円盤との攻防には文字通り手に汗握り、ロケットが爆発する度に地団駄を踏み、逆に円盤が撃ち落とされると飛び上がって喜んでいたっけ。まあ、健全な映画鑑賞だったと思うよ。
 
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 ところで、今回久しぶりに観賞して、その特撮のチープさを改めて思い知らされた。例えば、月面を走るスピップ号搭載の探検車の“プラモデル”然とした出で立ちや動きなど、とてもこれを以て「実際に月で撮ったのかもしれない」なんて思いようがない。それは、別に1960年代だったら信じられて、2010年代だと判ってしまう、なんて次元ではなく、当然、当時の観客でも撮り方は判らないものの、それが“本物”でないこともすぐに見抜けただろう。1954年の『ゴジラ』もしかり、実際は着ぐるみ着た“誰か”が“模型の街”を破壊していることぐらい、すぐに観てとれただろう。
 
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 ではなぜ、当時大人までがこの種の映画に熱狂したり(たとえば青年向けの『エレキの若大将』と『怪獣大戦争』が同時上映されたり)したのか? それには勿論、特殊撮影を堪能したい、との思いもあったろうが、それ以上に当時の人々がしっかりしたイマジネーションを持っていたからではないか、と思う。それは、本を読んでその情景を脳裏に思い浮かべる行為と似ているかもしれない。画面上で展開するチープな特撮が観衆の目を通って脳に伝わり、認識されるまでの過程で、イマジネーションがそれを“現実”へと変換したのであろう。だから熱狂し興奮し恐怖したのではなかろうか。
 
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 お茶の間に登場したテレビという存在が、読書などで培われた人間のイマジネーションを低下させたのは想像に難くない。なにしろイマジネーションを用いることなく、“実際”がその眼前に現れるのだから……
 
 そう思うと、昨今のCG技術による“疑似体験”はますます我々からイマジネーションを奪っていくだろう。どんなに撮っても着ぐるみは着ぐるみ、ミニチュアはミニチュア、としか見えなくなっていくだろう。それを考えると、先頃制作が発表された日本(東宝)版新作『ゴジラ』は相当苦戦すると思う。何しろオールCGではギャレス版『GODZILLA』の二番煎じになってしまうし、日本のお家芸である着ぐるみ撮影で行くとしても、どこまで今の観客を“騙せる”かわからない。
 
 ただ、CG慣れし、またとんでもない自然の(現実の)脅威をを立て続けに目の当たりにした、それ故イマジネーションが極度に疲弊している今だからこそ、そんな人間の想像力を喚起するようなトクサツ映画を撮ってほしい、と切に願う。
 
 小学生の娘たちも、今は素直に『宇宙大戦争』のミニチュア空中戦に手に汗握ってくれるのだから……