広島人は「長崎」に「原爆」に思いを馳せているか?
今日は長崎に原子爆弾が投下されて76年目の8月9日だった。
広島に原爆が投下された時間といわれる「8時15分」というのが、そのあまりにもキリのいい時間帯や、「その時刻以前に投下されたはず」という多数証言によって、はなはだ怪しい時刻であるのに対し、長崎へ投下された11時2分という時刻は何とも生々しい。
ただ、その「11時2分」というのは、後から知ったことで、あれだけ広島の原爆については熱心に教育する広島の街や教育も、少なくとも私が子供の頃は長崎の原爆については無頓着だったような気がする。今年夏の甲子園に長崎代表で出場する長崎(市立)商業高校が、広島の市商高校と長年にわたって教育の一環として「ピースデパート」を共催していることを、どれだけの広島市民が知っていることだろう……
広島の平和公園の正式名称が「平和記念公園」で、「広島平和記念資料館」と共に、「祈念」ではなく「記念」だったのに呆れたのと同様、広島の「人類最初の被爆都市」は“レガシー”に過ぎないが、長崎の目指す「人類最後の被爆都市」は、永遠に続いてほしい人類共通の目標といえる。
元サンフレッチェ広島選手・監督の森保一氏が、かつて監督時代にファーレン長崎との「ピースマッチ」に際し、長崎出身で広島で活躍した過去を鑑みて、素晴らしいスピーチを試合前に披露(録画公開)したことが記憶に新しい。
長崎の原爆禍に思いを馳せることは、同じ原爆禍に遭った広島にとって大切なこと。だが、最近はその長崎のことのみならず、広島へ原爆が投下された1945年8月6日(一応)8時15分すらいえない広島人がなんと増えてきたことか。平気で「1975年」なんて言う者もいるくらいだし……
今から四半世紀近く前に、そのことを8mm映画の中で追及したのが、先に「懐かしの8mm自主映画上映会」で包囲された『ライダーヒロシマ』(奥一浩監督作品)だった。