神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

正義か平和か?

 「人の数だけ“正義”はあれど、“平和”はこの世にただ一つ! 護ってみせます! “愛”ある限り!」

 

 これは以前企画していた『平和の使徒 宮條愛』なる未完(制作自体まだ)のヒロイン活劇の中での、主人公の決め台詞(になる予定の言葉)だ(;^_^A

 

このスチールはあくまでイメージ(;^_^A

  

 ヒロイン活劇映画の制作に関わって、今年で15周年を迎える。その間、当団体での制作のみならず、ヒロインアクションに特化した上映会も企画するたびに、『餓鬼ハンター』(シネマ愚連隊)『アイドルスナイパー』『ベビーフェイス』『一文字沙也加』『アイドルスナイパー2ダークリベンジ』『パピーゾンビ』『アイドルスナイパーNEO』(すべてシネマペロ)といった作品を招聘してきた。

 

 そんなわけで、数多のヒロイン映画(インディーズ)を観てきたけれど、上記の作品を含め、大抵その根底のテーマは「正義」だった。皆それぞれの「正義」を守るため、その秩序を維持するために戦ってきた。しかし、各々の「正義」は必ずしも普遍的ではない。その証拠に、戦争中は双方にそれぞれの「正義」が存在するわけで、それ故敗北は自らの「正義」の否定に他ならない。だから「正義」という規定は甚だ厄介だ。

 

 翻って、初代から連綿と続く『仮面ライダー』シリーズでは、悪の秘密結社が人類共通の敵で、彼らと人類は共存しえないので、ここに「正義」と「平和」は融合する。もっとも、『ウルトラセブン』「ノンマルトの使者」のように、実は現人類の前に地球を支配していたのはノンマルトだった、なんて展開になると、いきなり人類の「正義」と「平和」のバランスは崩れてしまい、殆ど戦う術を知らないノンマルトの海底都市をウルトラ警備隊が一方的に破壊するという、およそ「平和」とは真逆の行為が人類の「正義」となってしまうのである。だから冒頭の口上「人の数だけ“正義”はあれど」に繋がるのである。

 

 となると、積極的な行動が必要なのが「正義」であって、「平和」とは、むしろ他者を干渉しない、極めて消極的にふるまうことではなかろうか。となると、時の為政者が毎度口にする「積極的平和活動」は大いなる矛盾をはらんだ言葉となる。要は「平和」とは本来自然に醸成されるものなんじゃないかって思う。だから我々に出来ることは、「平和」そのものを作り出すのではなく、その「平和」を脅かす存在をなくす努力をつつけることなんじゃないのかな?

 

 今日は76回目の、広島で平和を「記念」ではなく「祈念」する日である。でも本来平和の祈念は不断にすべきことである。“8.6”は単なるきっかけに過ぎない。