神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

「東京スタヂアム」と「東京プロレス」と「東京〇〇〇〇〇」と……

 最近読んだ記事で、ヤクルトスワローズの前身・国鉄スワローズフランチャイズとして、1951年に東京近郊の武蔵野に「武蔵野グリーンパーク野球場」なる球場があったことを知った。


ヤクルト前身球団の“消えた野球場”…JR三鷹駅にあった国鉄スワローズの「幻の巨大スタジアム」、今は何がある?
https://news.yahoo.co.jp/articles/70ff5bd306fee90c1b2f3db8d8e839f25ad77fc9?page=1


 元々は戦後まもなく、進駐軍によって神宮球場などが接収される中、都心で興行が出来るボールパークが後楽園球場だけだった、ということで、もともと軍需産業中島飛行機(現スバル)の工場があったこの武蔵野の土地が、専用の国鉄線路(引き込み線)も整っていたこともあり、新球場設置の向けての白羽の矢が立ったようだ。球場の愛称の「グリーンパーク」なる当時にしてはハイカラなネーミングも、しばらくその地を進駐軍が接収していた名残からである。

 

 

 

 そこに建設された武蔵野グリーンパーク野球場は、その観客動員が5万とも7万ともいられるマンモス球場で、場内施設も完備された、「東日本一」と呼ばれる当時としては破格の球場だったそうだが、実際にそこで開催されたプロ野球の公式戦は僅か16試合のみ(?) まるで長年の期間を経て建造された日本最大級空母の「信濃」が実戦配備される前に米潜水艦に撃沈された例を思い起こされるくらいの“儚さ”だ。

 

 その理由は、この球場が建設された土地の土壌が悪くて芝が根付かず、始終砂埃に苛まれた点や、神宮球場の接収が解除され、また新たに川崎球場駒沢球場が新設されて都心の球場不足が解消された点、そして都心から武蔵野は遠く、また国鉄がこの球場をフランチャイズにしたら集客力の高い後楽園をフランチャイズ使用できなくなるとの理由でフランチャイズ化を断念したことなどが相まって、公式戦が行われたのはこけら落としの51年のみで、59年には解体の憂き目に遭ったというのである。何とも勿体なく、空しく、儚い話だろうか……

 

 そんなわけで、この武蔵野グリーンパーク野球場はNPB史上もっとも短命の球場として、記録に留められているそうである。それで思い出すのは、かつて南千住にあった“光の球場”こと、オリオンズの(かつての)本拠地「東京スタヂアム」である。この球場も完成後僅か10年で解体の憂き目に遭った球場である。ただその僅か1年の差で、「短命」の座をグリーンパークに譲った形になる。

 

 ところで、件の武蔵野グリーンパーク野球場はその正式名称を「東京スタディアム」といい、奇しくも前述の「東京スタヂアム」と一緒なのである。同じ「東京」の名を冠し、そして同じく短命に終わったことは、何とも象徴的である。

 

 それでいうと、かつて豊登と猪木が立ち上げた「東京プロレス」も、それからうんと後になって元WARの石川が立ち上げた同名の「東京プロレス」も、奇しくも同じく短命に終わってしまった。どうもスポーツ(系)興行界において、「東京」なにがしは縁起が悪そうである……「ヴェルディ川崎」からフランチャイズ制を無視して強引に「“東京”ヴェルディ」に名称を変更したものの、今ではJ2をうろうろすることになってしまった、(当時)某新聞社の肝いりで設立されたサッカー球団も……(;^_^A