神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

ヒロインアクションの考察から、インディーズムービー・劇場映画の話題まで

映画における“リアリティ”の限界

 ネットでこんな記事を見つけた。

 

あるホラー映画で使われた「遺体」が、本物の人間から作られていたことが判明…
https://front-row.jp/_ct/17452690

 

 これは、1979年に公開されたホラーコメディ映画『Wise Blood(賢い血)』に出てきた“遺体”の頭部が、現在のエクアドルとペルーにあたる地域のヒバロー族やシュアール族が、宗教的な意味合いをもってかつて制作していた本物の“干し首”だったという話だ。この記事を読んでふと思い出したのが1967年制作の映画『世にも怪奇な物語』(“奇妙な”じゃないよ(;^_^A)だった。

 

 

 ロジェ・ヴァディムルイ・マルフェデリコ・フェリーニといった世界の巨匠か、エドカー・アラン・ポーの原作を題材にして撮ったオムニバス映画である本作において、ルイ・マル監督が演出したのが『影を殺した男(原題『William Wilson』)で、当時の「当世一の色男」アラン・ドロンを主演に、ドッペルゲンガーをテーマにした同名の原作を元に撮られた一エピソードである。

 

 劇中、無軌道な人生を送る主人公のウィルソン(ドロン)が、医学生になるものの、解剖実習に影響されて、あろうことか場末の娼婦(ドロンの台詞でそれとなく示唆されている)を医学生仲間と共に拉致し、生きたまま解剖実験仕様とするシーンがある。その前段階の解剖実習シーンで、教授が老人の肢体にメスを入れる場面があるんだけれど、その切り傷が何ともリアルで、「もしかしてこれは本物の死体では?」なんて、小学生の初見の際に思ってしまったものだった。

 

 

 

 その後、このシーンは、リアリズムを追求するルイ・マル監督が本物の死骸を撮影に使って、その死骸にメスを入れたことが判明、子供の頃の思いが現実だったことを知った。

 

 ところで、その後展開する、悪趣味というかSMショーまがいの“女体生き造り”シーンは、すんでのところで“ウィルソンの影”の存在によって阻止される。しかし、加害者のウィルソンと、救世主の“影”が全く同じ顔だったので、助けられた娼婦の娘は、それを見間違えた挙句、ウィルソンを“影”と勘違いして抱き着き、哀れ解剖のメスで腹部を刺され絶命する。その際の娘の傷口があまりにもチープだったのも、老人の切り傷がリアルだと感じた理由だったように記憶している。

 

 

 

 

 小学生時代、水曜ロードショーで本作を観た時、一番最後のフェリーニによる『悪魔の首飾り』に登場する少女の悪魔の描写があまりにも怖くて、そこで観賞を“ギブアップ”した記憶があり、そのシーンがすっかりトラウマになってしまったんだけれど、物心ついてから、っていうか、社会人2年目で本作をレンタルで借りてみた際は、下世話な感覚で、むしろ『影を殺した男』のこの“解剖”シーンの方がよっぽどトラウマになってしまったよヾ(- -;)ヾ(- -;)

 

 ちなみに、本作の『悪魔の首飾り』における、鞠を持つ少女の悪魔のビジュアル(イメージ)は、1988年制作の拙作『瞳~ひとみ~』の中で借用されて頂いたが、同様にトラウマを覚えた『影を殺した男』の件のシーンの方は、流石に流用が憚れる。それこそ「GIGA」のヒロピンビデオになっちゃうよ(;^_^A(;^_^A