神宮寺真琴のつぶやき~TBossのブログ~

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万感! 「走れ!歌謡曲」 ~40年前の思い出に浸る~

 受験生だった81年、受験勉強の友としてラジオの深夜放送にハマった時があった。最初は笑福亭鶴光の「オールナイトニッポン」で、その後一世を風靡したビートたけしのそれに“移行”していった。

 

 ところで「オールナイトニッポン」第一部が終わる午前3時以降、広島地区では第二部ではなく、「走れ!歌謡曲」なる番組が流れていて、一度タモリの「オールナイトニッポン」で当時パロディーが過ぎて発禁になったLPの中身を第二部で一挙流すことがあった時には、それを“邪魔”された思いで、「走れ!歌謡曲」(ていうかRCC中国放送)を恨んだこともあった。

 

 しかし不思議なもので、いつしか「走れ!歌謡曲」の聴き始めるようになり、一度物は試しと、亡き恩師の思い出を綴った手紙を金曜日(厳密には土曜日早朝)の「走れ!」に投稿したところ、当時の山加朱美パーソナリティに思いがけず番組内で読んでもらって、その感激から、いつの間にか受験勉強そっちのけで“ハガキ職人”と化し、夢中になって投稿に勤しんでしまった。

 

 当時は上記の金曜日・山加朱美と共に、月曜日・筒井たか子、火曜日・河野ひろ子、水曜日・川中美幸、木曜日・山沢じゅん、そして土曜・細野早苗、という布陣で、意外に根強い人気があり、その余勢を駆って「真夜中のラジオガール 走れ歌謡曲」なる番組本まで発刊されていたほどだった。おかげさまでそれから半年かけて、全ての曜日で思い出の記事やリクエスト葉書を読んでもらう幸運に恵まれ(火曜と金曜は2回ずつ)、我が受験生時代の後半は、まさに「走れ!歌謡曲」と共にあった(;^_^A

 

 

 そんな思いが高じて、一度「文化放送」を観てみたいと、卒業式翌日に東京旅行を決意、鈍行を乗り継いで一日がかりで東京へ向かい、3月3日の夜、ようやく四谷にあった頃の文化放送までたどり着いたところ、偶然にも遠目に川中美幸を拝見する機会に恵まれた。今となっては懐かしい思い出だ。

 

 それから幾星霜……昨年11月にネットの記事で件の「走れ!歌謡曲」が今年度で打ち切られることを知った。本当に驚いた。今年度で何と52年間、私が聴いていた1981年度から数えてもちょうど40年の月日が経過していたわけなんだけれど、それ故、しばらく聴いてはいなかったものの、我が青春の思い出としていつまでも“そこにある”ものと高をくくっていた当番組がなくなってしまうことに、たまらない喪失感を覚えた。

 

 それで、最近は出来るだけオンタイムで聴取しようと、眠い目をこすって40年ぶりにラジオ(といってもネットラジオ)に向かって、思い出の「走れ!歌謡曲」を聴いている。演歌中心だった当時と比べて、最近は流れる楽曲も千差万別になったようだが、冒頭の「口笛天国」を聴くだけで、「一人じゃないんだ日野ファミリー」のフレーズと共に、いきなり気持ちが受験生だった当時にタイムスリップしたような感慨に包まれ、図らずも泣けて仕方がない(;^_^A

 

 今思えば、我が青春の一コマであり、その気になればいつでも当時を思い起こさせてくれる存在だった「走れ!歌謡曲」が終了してしまうのはとても残念だ。いよいよ打ち切りまで今夜(明日早朝?)を含めて残り僅か2回となってしまったけれど、最後の最後まで、この番組が歴史に支えられて輝きを放ち続けることを祈念して止まない。

 

 そんな内容のメールを最後に投稿したけれど、果たして読んでもらえるかな?(;^_^A